こんにちは

 
「戦う男のストレスをアロマで癒す専門家」
【ミスターアロマ】の星野知子です。
 
 
「パスポート」間違い事件で
 
あわや
“まぼろし”になりかけた
今回の旅行
 
 
お陰様で
無事に行って
無事に帰ってくることが
できました。
 
 
撮ってきた写真と共に
「アンコールワット」を
ご紹介しますね。
 
 

トリップアドバイザー
2018年発表の
 
口コミで選ぶ
世界で1番人気のある
「ランドマーク編」で
 
堂々1位に選ばれた
「アンコール遺跡群」
 
 
その中でも
群を抜いて有名な寺院が
 
カンボジア国旗にも描かれている
 
「アンコールワット」
 
になります。
 
 
「アンコールワット」は
カンボジアの首都プノンペンから
330キロほど北にある
シェムリアップという都市に
あります。
 
 

“クメール建築の傑作”

と言われ

 

敷地は
東西1500メートル
南北1300メートル
幅200メートルの堀で囲まれており

 

この寺院だけでも

東京ドーム42個分の広さ!

 

全て見て回るには

1日以上かかります。

 

 

 

写真出典

 

ツアーでいくと

ガイドさんが的確に

“ここは絶対外せない!”

ポイントを押さえて

効率良くまわってくださいます。

 

個人でいかれる場合も

1回目は

現地でツアーを申し込むことを

お薦めします。

 

ゆっくり見たい気持ちも

あるのですが

 

とにかく暑い!!!

 

無駄に長居すると

熱中症になる危険があります。

 

実際

一緒にまわった

ツアー仲間のお一人は

気分が悪くなって

途中からバスで休んでらっしゃいました。

 

何日も滞在するなら

 

比較的暑さのましな

早めの午前中や夕方に

 

毎日分散して

ゆっくり観光なさることを

お薦めします。

 

※特に「アンコールトム」が
日陰が少ないので注意です。
 
 
「アンコール遺跡群」は
想像を遥かに超える広さです。
 
敷地面積は400平方キロ
 
なんと
名古屋市(326平方キロ)
より広いのです!
 
 
そこに
このアンコールワットや
アンコールトムと呼ばれる遺跡を中心に
 
東西南北
大小様々な寺院や王宮の遺跡が
約600も点在しています。
 
 
美術的・民俗学的価値が
とても高いことで知られ
 
1992年に
ユネスコの世界遺産に登録されました。
 
 
9世紀
現在のカンボジア王国の
元となるクメール王朝が始まります。
 
この王朝
最盛期には
インドシナ半島の
ほぼ全域を治めたんだそう。
 
その都が置かれたのが
アンコールです。
 
巨大な遺跡は
9世紀から15世紀まで
600年続いた王朝の
“栄華の証”
ともいえます。
 
 
「アンコールワット」は
12世紀初頭
スーリヤヴァルマン2世
という王様が建設しました。
 
1113年から

約30年以上の年月をかけ

のべ6万人ほどの手によって

作られたんだそう。

 

 

ヒンドゥー教の三大神

“ヴィシュヌ神に捧げるための建造物”

という説や

 

 「死」を意味する方角

西向きに建てられていることから

 

“王自身の墳墓”

として造られたという説もあり

 

当時は

「王様の権力の象徴」

または

「神々と交信する儀式の場」

 

としての役割があったんだとか。

 

 

12世紀末のジャヤヴァルマン7世は

仏教を厚く信仰するようになり

 

ヒンドゥー教寺院として建てられた

「アンコールワット」も

仏教寺院として

用いられるようになりました。

 

 

その後

 

1431年に

隣国アユタヤ(現在のタイ)の侵攻で

アンコールは破壊され

南部のバサンに王都が移ります。

(プノンペンという説もあり)

 

 

そのため

アンコールワットは

人々から忘れられていました。

 

 

1546年

当時の王アンチェン1世は

王国内の森深くに象狩りにでかけました。

 

その途中で

100年以上放置された

アンコールワットを見つけます。

 

この頃には既に

寺院や都城は

森に飲み込まれていましたが

 

アンコールワットだけは

地元の住民の仏教聖地として

使われていました。

 

王は早速

寺院の修復を命じ

 

1546年~1564年にかけて

未完成だった

第一回廊北面とその付近に

彫刻を施したそうです。

 

1576年に即位した

孫のソター王(サータ王)は

「アンコールワット」を

仏教寺院へと改修し

 

本堂に安置されていたヴィシュヌ神は

四体の仏像に置き換えられたそうです。

 

サータ王は

タイの侵攻に備えて

再び旧都に住民を移し

自らもアンコールに居を構えます。

 

しかし

アユタヤが1593年に再び

カンボジアに侵入。

 

首都ロヴェックは陥落し

徹底的に破壊され

クメールは回復不可能なほどの

ダメージを受けました。

 

以降

 

1860年1月22日に

フランス人植物学者アンリ・ムーオが

再発見するまで

 

 

約300年

「アンコールワット」は

密林の中に埋もれ

忘れさられていたのでした。

 

 

アンリ・ムーアが

紹介したことで

「アンコールワット」は

世界に広く知られることになりました。

 

 

その後
カンボジアは
フランス統治下に置かれ
保存・修復が始まりました。
 
 
しかし
1970年今度は内戦が勃発。
遺跡はまたも破壊されてしまいます。
 
現在は国も安定し
ユネスコなどの国際機関と
各国からの支援によって
修復活動が行なわれています。
 
日本も
「アンコール遺跡群」の修復には
かなり協力しているそう!

 

これまでに

アンコール遺跡群の

修復支援に投じられたジャパンマネーは

なんと30億円以上!

 

これは

日本が支援した海外の世界遺産での

最高額になるそうです。

 

アンコールワットの

研究者として有名な

上智大学の学長石沢良昭氏が中心となって

 

その保存運動に

積極的に取り組んでいるそうです。

 

 

アンコールワットの中央伽藍は

 

ヒンドゥー教における

“世界の中心にそびえる聖なる山”

須弥山(しゅみせん)を

具現しているといわれ

 

周囲の尖塔は“ヒマラヤ連峰”

そこへと続く真っ直ぐな参道は

“現世と天界を結ぶ虹”

だと言われています。

 

そして外側のお堀は

大海を現しているんだとか。

 

 

 

ちなみに

「アンコールワット」

と呼ばれるようになったのは

15世紀以降

仏教寺院として機能するようになってから。

 

アンコールとは

サンスクリット語で「都市」「首都」

 

ワットはクメール語で

「寺」を意味するので

「首都の寺」という意味になります。

 

 

 

西塔門から入場すると

大きな池が見えてきます。

 

 

 
12月~5月の乾季は
ほとんど雨が降りません。
 
ですのでこんな風に
少し枯れていますが
 

北の聖池

“リフレクティング池”と呼ばれ

 

雨季(6月~11月)には

うんざりするほど雨が降るらしく

 

もっと大きな池になり

「逆さアンコールワット」が

写りこみます。

 

 

この聖池の前で

世界中から訪れている観光客が

朝日があがるのを待つのです。

 

アンコールワットの朝日

 



「アンコールワット」の中心部は

『回』の字のように建てられた

回廊が3つあり

 

外側から中心部にかけて

ピラミッドのように

徐々に高くなっています。

 

 

 

引用


私たちは

アンコールワットの裏口

東塔門から入り

 ↓

 

 

第二回廊→第三回廊→第一回廊

の順番で見学しました。

 

西塔門からいくより

日陰が多いのでお薦めです。

 

 

 

 

 
急な階段をのぼって
第一回廊へ。

 

第一回廊には

壁一面にレリーフがあります。

 

 

写真は

神々と阿修羅が

7つの頭を持つ蛇(ナーガ)で

綱引きをしている

 

ヒンドゥー教の天地創造神話

「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)

を描いた

50mほどもある壁画です。

 

全長760mに及ぶ回廊は
「ラーマヤナ」や
この「乳海攪拌」等の
 
ヒンドゥー神話をメインに
8つの異なる物語が彫り刻まれています。
 
①「マハーバーラタ」
②「創建者スーリヤバルマン2世の行軍」
③「天国と地獄」
④「乳海攪拌」
⑤「ヴィシュヌ神の隊列と阿修羅軍の決闘」
⑥「鬼神バーナを攻撃するクリシュナ神」
⑦「神々と阿修羅のアムリタをめぐる戦い」
⑧「ガルーダに乗ったヴィシュヌ神」
⑨「ラーマーヤナ物語」
 
数百年も昔のものですが
表情がわかるほどの描写や
細かい彫刻が美しいです!
 
北東部及び北部の彫刻は
(④⑤⑥⑦)
 
アンチェン1世によって
16世紀半ば以降に彫られたものとされ
 
他の彫刻とは
クォリティが大きく違うと
言われています。
 
 
 
「乳海攪拌」は
中央にヴィシュヌ神
 
その下にヴィシュヌ神の化身である
クールマ(大亀)の背に乗せた
大マンダラ山が描かれています。
 
 

それを両側から神々と悪神が

ヴァースチ(大蛇)の胴体を綱にして

綱引きしながら海中をかき回す

「攪拌」が1000年も続き

海は乳海となります。

 

そこから

アプサラやラクシュミー神

(ヴィシュヌ神の妻)が産まれ

 

最後に不老不死の薬である

「アムリタ」が出来たという神話

になります。

 

 

 

南面にある

「天国と地獄」も面白いです。

 

 

 

串刺しの刑や火あぶりの刑

ベロをひっこぬかれたり

 

悪いことをした人々が

地獄で苦しむ姿が

生々しく彫刻されています。

 

 
三層に別れており

 1番上の層は

「極楽界」

2層めが

「裁定を受けに向かう様子」

3層めが「地獄」なのですが

 

これは2層めから「地獄」に

落ちていってる図です。

 

 

中央には

裁判を行うヤマ(閻魔大王)の姿も

描かれています。

 

減刑を懇願する人の姿もありました。

 

 

 

他の壁画も
それぞれストーリーがあって
彫りのタッチも違って
面白かったです。
 

 

是非

ガイドさんに

詳しく説明してもらいながら

みてくださいね。

 

 
第三回廊ほどではありませんが
第二回廊へも
急な階段をのぼります。
 
写真は
第二回廊から第一回廊をみたもの。
 
第一回廊は壁画があるので窓がありません。

 

第二回廊は

壁画はありませんが

 

そろばんのような連子窓と

「デバター」がたくさんあります。

 

「デバター」とは

女神と訳されているものもありますが

 

実在した女官や踊り子を

モデルに彫った女性像だそう。

 

 

アンコールワット全体の

デバターの数は

なんと2300体にも及ぶんだとか。

 

一体一体

身に着けている装飾品、髪型

プロポーション、表情、ポーズ

すべて違うといわれており

見ごたえありです!

 

 

これは

彫りかけの「デバター」



 大昔

両親が「アンコールワット」に

旅行した時に買ってきた

「デバター」の魚拓です。


現在は

「デバター」の“魚拓”は

禁止されているんだそうです。



アンコールワットには

鎖国以前に訪れた日本人の落書きが

一四カ所ほど残っています。

 

アンコールワットの入り口近くに位置し

東西南北の回廊が交わる

「十字回廊」の柱に

その「落書き」はあります。

 

 
1番古いものは

1632年

日本人の森本右近太夫一房が

参拝した際に

壁面へ残した墨書だそう。

 

「御堂を志し数千里の海上を渡り」

「ここに仏四体を奉るものなり」


と書いてるそうです。


まったく読めませんが、、(^_^;)


 

当時日本人は

アンコールワットを

「祇園精舎」と思い込んでいたようです。

 

水戸の彰考館には

「祇園精舎の図」として

アンコールワットの図面が

残されているんだとか。

 

本当の「祇園精舎」は

釈迦が説法を行った場所といわれ

インド中部にある仏教寺院なので


一房たちは

「勘違い」をしていたんですね。


 

当時は

徳川家康の

朱印船貿易が盛んに行われ

 

カンボジアにも

たくさんの日本町が

つくられていたそうです。

 

 

そのなごりなのか?

「カンボジア料理」として

でてきた食事に

 

「日本」にあるものと

そっくりなものがありました!

 

 
この左の食べ物
明らか「さつま揚げ」でした。
 
 

 「カンボジアらーめん」

というお料理も
温かいそうめん=にゅうめんにそっくり。
 

 

その時代に渡ってきた日本人が

伝えたのかもしれませんね。

 

 

世界遺産への落書きは

近年問題になっていますが

 

これらは歴史的に貴重な落書きとして

保存されているそうです。



落書きのある「十字回廊」には

「アンコールワット」の中心があり

スマホの磁石アプリでみると

正確に東西南北を指すんですよ。




第三回廊は

アンコールワットの中でも

特別神聖な場所になります。


クメール時代には

王族やヒンドゥー教のお坊さんなど

限られた者しか

入ることが許されませんでした。

 

そのため

現在でも

 

ショートパンツの方

タンクトップの方

妊娠している方

12歳未満のお子様は入場できません。

 

また

見学人数は1回につき100人まで

と決められています。

 

私が行ったときは

空いていたので

30分程度で入場することができました。


夏休みや年末年始

混む時間帯は

1時間以上並ぶことになるそうです。


午前中や3時くらいが

比較的空いてるようです。

(入れる時間は8:00~16:30)

 

ただし

アンコールワットは

西に向いてるので

 

午前中の観光だと

正面からの写真は

逆光で撮りにくいと思います。


朝に第三回廊にいって

夕方から

もう1度行くのもお薦めです。

 

 


大昔

両親が行った時は

建設当時のこの石の階段だけだったそう。


 

 

 

現在は

このような手すりつきの階段ができ

急勾配ではありますが

 

一方通行ですし

ゆっくり登り降りすれば

そんなに危険ではありません。


この階段ができるまでは 

転落事故も多く

死亡者もでていたそうです。

 

 

第三回廊のみ

「仏教の日」(仏教行事)

にあたる日は入場できません。

 

スケジュールは

あらかじめ分かっているので

オプショナルツアーを予約する際は

チェックしてから申し込んでくださいね。

 

2019年仏教の日

 

また外交関係で

要人や大臣等が来柬する場合には

急に登れなくなってしまうことも

あるそうです。

 

 
第三回廊からみた景色。
 
 

ヒンドゥー教における宇宙観

 

“世界の中心にそびえる聖なる山”

須弥山(しゅみせん)を

具現しているといわれる中央祠堂。

 

ここはヴィシュヌ神が降臨し
王と神とが一体化する
聖なる場所だと
思われていました。
 
 
この深くなっているところに
雨水をためていたそうです。
 
その雨水を使い
十字回廊のところで沐浴をし
体を清めてからお参りしたと
言われています。
 
 
第三回廊にも
「デバター」がたくさんいます。

「デバター」は上半身裸です。
 
おっぱいを触る観光客が多いので
おっぱいが黒くなってる「デバター」が
多いそう、、。
 

降りるほうが怖かったーー。




無事に降りれてホッ、、。




帰りは

西塔門からでました。

 

西塔門には

 

中央に「王様の門」

両側は「庶民の門」

最両端には「象の門」が並んでいます。

 

 

南側の「庶民の門」には

「8本腕のヴィシュヌ神像」が立っています。

 

 

ここは現在

仏教徒の信仰の場となっていて


ヴィシュヌ神像なんですが

クメール人がたくさん

礼拝に来ていました。

 

 

西塔門のところには

珍しい「歯を見せて笑うデバター像」

がいるので

ガイドさんに教えてもらってくださいね。

 

 西塔門のとこにしか

いないと書いてるガイドブックも

ありますが

 

実は第二回廊にも

「歯を見せて笑うデバター」が

いるそうです。

 

 

 写真出典

 

よかったら

探してみてくださいね。

 

 

とっても長くなってしまいました(^_^;)


全部読んでくださった皆様

ありがとうございます。


お疲れ様でした。


いつか

アンコールワットに行かれる時の

参考になれば幸いです。


次は

「アンコールトム」について

ご紹介しますね。