薫風のブログ

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京都のアロマテラピースクールAivan ライブラ京都校を開いております。aroma以外のいろいろな事も考えて引き出しを増やしていこうと思っております。

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カレンダーに印のない祝日の木曜日。
大手の出版社からありがたいメールが届いた。
話題のアーティストの女性からのお薦めアイテムでAtgiletzのクレイ商品をファッションマガジンに掲載したい、との事。
そこで、商品を撮影したいのでお貸しいただけないでしょうか?と。
もちろん、二つ返事で土曜日に早速お送りすることにした。
いつものクロネコヤマトさんにきていただいたのだが、東京だと五輪の期間中は、最悪1週間かかる可能性がある。との事。
撮影に間に合わない。
早速、『はじめてのクレイケア』を出版されてクレイでご活躍中のClaydaysの川端奈那さんに、手持ちのAtgiletzクレイを出版社に渡していただけるように連絡してお願いした。
素敵で優しい彼女なら人当たりも良いし出版社とも何かの縁にと勝手なお願いをした。
忙しい彼女なのだが私の願いを快くお引き受けいただいた。
物事はこのように様々な縁が織りなすものです。本当に感謝です。
 
ところで、ところで、
私はオリンピック、パラリンピックが嫌いではありません。
体力と精神の限界に挑戦なさっている、それこそ自己犠牲にも思えるその努力に感動と崇高さに涙と感動を与えていただいていることに勇気をいただき素晴らしさに憧れます。よし、少しでも、一部でも見習いたいと勇気を持って夢を見ております。
しかし、その組織の官僚主義、スタッフを犠牲にしたシステムに憤りを感じてます。そして、日本政府にも。
このような祭典は大変ですし、多額のコストがかかることも承知してます。
しかし、それが国民生活の犠牲のもとに成り立つと言うのは、時代錯誤もはなはだしい。上部だけの祭典に関するシステムだけが完璧であって良いわけではない。市民生活、都民生活をないがしろにせずにあってこそが近代のイベントの常識だ。
欧州は、特別な選手のみのマラソン大会で市民生活が滞ってしまうと言う考えから、それなら市民もマラソンに参加できるようにする事で、市民主体のマラソン大会へと移行した。
だから、世界のマラソンは市民マラソンになった。
世界がそうなった理由も分からず、トレンドで日本も市民マラソンに移行したわけでは本来はないのです。
歩道も作らず、学童の集団登校に車が突っ込む事故が繰り返されるのも、全て、住民に依存して道路が成り立っているのも同じです。
ロサンジェルスなら、歩道を作らなかった事で間違いなく市が訴えられ敗訴です。
先進国の義務教育はすでに教科書など使わないのに、
未だに、義務教育を教科書で管理教育するくせに、個人の安全は管理しない。
 
集団就職の時代からずっと教育をする側にスキルアップがない。
ICTと騒ぎながらやっていることは画一教育、大丈夫だろうか。
話が飛び跳ねてしまったが、もう少しまともな近代社会を市民生活のもとに疑問を持ちたいものです。
アフターコロナのPLAN A、PLAN B、せめて、PLAN C くらいまで考えないと。


この歳になると実は、おめでとうと言われても、いささか惰性のようなもので意識の上でのうれしさがあるわけではありません。
しかし、孫にとって、誕生日と言うものは誰のであれ嬉しいモノのようで、誰のであっても誕生日のセレモニーは必須のようなものです。ケーキとキャンドルとセレモニーの合唱は避けられません。
願い事をして、キャンドルを吹き消して、めいめいがケーキの好きな部位を待ってたかのように孫は取り合いセレモニーは終わりを迎えます。
ですから、夜の帳が下りて、孫たちとの楽しい時間、祭りの後の静けさ、というような時間をいただきます。
そして、ひとり机に向かっておもむろにMacBookを開けてSNSをみると、丁寧にいただいた数々のメッセージを読ませていただくと逆に一年の区切りのような「そうか誕生日の1日が終わるのか!」というようなようやく実感じみたモノを感じてきます。
別に感慨があるというほどのものはありませんが。
まだまだ、人生の路半ばだと思う欲深さの身ですが、もう少しやりたいこと、やらねばならないと思うことがございます。
おかげさまで、メッセージに励まされてスティーブ・ジョブズの言ったまさに点と点を結ぶミッションを叶えようと思っております。
もう少し皆様に構っていただこうと思っております。大学とも連携を深く持っていくことにもなりました。
人生100年時代です、田代先生をも無理矢理引っ張って、もう少し誕生日を重ねさせて頂いていく所存です。
よろしくお願い申し上げます。
本日はメッセージを有難うございました。感謝

大阪が大変なことになってきてます。京都も免れてない。

しかし、遠い明日のために、そして、実際の明日のためにも考えねばならないmissionがある。

 

アフターコロナにおいて、経済活動は続きますが大きく変わるのは違いありません。

そして、誰しも、人はモノを選んで購入するわけですが、その根拠は有り余る同じ用途の類似商品の中で何を基準として選ぶのでしょうか?

おそらくもう価格が主要な基準ではなく、もちろん品質がなるべくなら上質であることが大切でしょうが、何よりその選ぶポイントは、モノの価値は単なるブランドや機能性だけではなく、今の時代の価値観を投影したものである必要があるでしょう。

商品として存在する理由が自分の生き様や哲学的な投影をしているものでなければならないのです。

それは、おわかりのように「環境」・「差別・ジェンダー」・「健康」に関わる能動性でしょう。

それをファッションと言えばそうなのですが、上記のような思想や活動が存在します。

 

具体的な思想や活動などは、SDGs、Ethical、差別、基金、寄付、哲学、vegan、vegetarian、organic、などなどでしょう。

そして、コロナのワクチンで国家間の貧富の差が露呈したように、貧困の撲滅と教育の権利をも加えなければならないでしょう。

ジェンダーの問題は、いずれ将来は、フランス語などのラテン語やドイツ語から男女の性別の単語は口語においては無くなっていくのではないでしょうかね。

私もまた活動をすることになりました。

 

そして、その活動を起こすに至り、

MISSIONs&Activity

<互いに感謝とリスペクトを持って知識と技術とその精神を継承する上質さを常に持って活動すること>

を考えていきたいと、いつものスタバのテラスでコーヒーを飲みながら独り考えておりました。

これも、お力添えいただける多くの女性の知恵のおかげです。

一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、

・・・(略)科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、・・・(略)

決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、

それは弱者に接する態度である(ファン・ファン(方方))

 

協力は競争より価値がある(ジャック・アタリ)

 

今日より良い明日であるための努力をする(ダルビッシュ・ユウ)

 

手柄は全て人に譲れ!(野村克也)

 

この4つは私の大事な座右の銘です。

ろくに約束も守れない愚鈍な凡夫ですが、

明日、共に活動していく仲間にミッションを届けるために。