昔から 大切に
語り継がれてきた物語があります♪

(神話、説話、民話…など) 

 

 

禍を転じて福と為す からの続きです。 


読んでいると 何となく
インスピレーション降りたり

心の奥底から、湧き上がる

 

ある想いなど広く 深く 意識が
広がっていくように思います。 


人生のある時期
内と 外から 何かに?
突き動かされるかのように

巫女 (特に 古の時代からの巫女) 

について 知りたくなって … ^^

図書館へ通い 多くの本

(巫女の歴史や民俗誌など) 読み続け
また巫女のご神事について
教えて 頂いたり


また個人的な 鎮守の神である
武神についても …


武神の力 

 

同時に 多方面から 偶然に
重なり合うことがあったり 


魂 ふるわす♪

それは、自分自身の人生からと 
心身の不可思議さと 照らし合わせ
ながら 今も 変わらずですが
理解を深めていたことがありました。

巫女について 理解していくごとに
人間とは ?
体と 心と 魂の存在

 (男性 女性 その違い)

生きるとは ? 
その土地で、私たちの日常の暮らし

(衣食住など)の中に 深く根付いていること
多くあって 様々な事を 感受し
意識が広がっていきました。



調べていたその過程で
蘇民将来 」の信仰について
とても気になり 湧き上がる
ある想いがありました。

先祖代々 ~ 子孫へ 守り継がれ
その土地に 根付いて 生活を営む
民がいます。 

物語は
須弥山中腹の豊饒国に、武塔神
(ムトウシン) 
がいて 王子の牛頭天王(ゴズテンオウ)
王位を譲りました。 牛頭で 赤い角つけた
その風貌ゆえ 后となる 女性が 見つからず…

(牛頭天王の姿は、翁の姿で描かれていることもあるようです)

ある時 鳩が飛んできて 后の候補者として
南海に 沙掲羅龍王
(シャカラリュウオウ)の娘
頗梨采女
(ハリサイニョ)がいると 告げ
案内したと言います。

 
そして牛頭天王は、妻問いの旅へと
向かいます。

その旅の途中で、巨旦将来と 蘇民将来
という兄弟に出会います。
初め 巨旦将来に 宿を求めましたが
断られ、蘇民将来は 貧しいながらも
宿と 粟の飯など もてなしてくれました。 

無事に 牛頭天王は、南海の竜宮城へ
行って 頗莉采女と 結婚し 8年の
結婚生活の合間に 8人の王子を
もうけます。 

(七男一女という説もあり)

… 

そして8人の王子と共に 豊饒国へ
帰る途中  天王は 巨旦将来を
罰するため 攻め入ります。
 
しかし巨旦将来は 千人もの僧を集め
七日七晩 大般若心経を 読経し
応戦しましたが、一族は 滅ぼされる
ことになりました。

しかし蘇民将来には 恩を 報いようと
巨旦将来一族の なかに 蘇民将来の
子孫がいるのか聞いていて
蘇民将来は、巨旦将来へ嫁いだ
 「 娘 (妻)? がいる 」と 伝えます。 

天王は、 「 それならば 茅の輪を作り
蘇民将来之子孫也 の 護符を 身に
着けていれば 末代まで 災難から
逃れられる 」と 伝え 蘇民将来の
子孫は 助けられました。

 大まかなストーリーです。


祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり …♪
↑以前載せた内容コピーしています。

蘇民将来 」の説話は
日本各地で伝えられ

京都八坂神社
(明治の神仏分離以前は、祇園社)
広峯神社 (兵庫県姫路市)
津島神社 (愛知県津島市)
黒石寺 (岩手県奥州市)   他 

疫神 厄神として知られる
牛頭天王は、同一神として 
神仏習合 また世界の宗教の神々と
習合されているようです。 

須佐之男命
薬師如来 
武塔 () 

* 朝鮮では

武塔神と 妻の頗梨采女 (はりさいじょ)
の関係から 巫女であり シャーマン的
存在の巫堂 (ムーダン)
による口伝 
「バリ公主神話」について 関連があるかも
しれないとされる説があるそうです。 

帝釈天
(仏教の守護神) 
天徳神 (陰陽道) など 

蘇民将来の起源は
定かではないようです。

日本の皇室でも 執り行われる
6月、12月の「大祓
(おおはらい)の儀」 
大祓の儀とは、国民のため
また皇族の方々の お祓いの儀式です。 

天皇即位後の 最初である
大嘗祭 (新嘗祭)の前後  また疫病の
流行 災害が起きた時などに 執り行う
ことがあるそうです。 


皇居東御苑へ♪
 
私たちの身近では
全国の各神社、寺社などに
茅の輪が設置され

罪や過ちなどの、心身の穢れを
祓い清める 「 大祓 」という儀式 
6月「夏越の大祓」、12月「年越の大祓」

多くの神社で見られる 「 茅の輪くぐり 」も 
蘇民将来の 伝説に 由来するものだそうです。 

疫病や 災厄を祓い 福を招いてくれる護符
蘇民将来子孫也 」「 蘇民将来子孫之門
と書かれたお札を貼り 御守りとして飾ります。 


特に 気になっていたのが 
岩手県を中心に 日本各地で行われている 
蘇民祭
(そみんさい)です。


岩手県 奥州市にある
天台宗の黒石寺
(こくせきじ)
( 岩手県奥州市水沢黒石町字山内17 )

 山号は、妙見山
ご本尊は、薬師如来坐像
 
黒石寺 蘇民祭は
国の選択無形民俗文化財 

(日本三大奇祭または、日本三大裸祭りの一つ) 

岩手県内中心に その土地に
根付いてきた 信仰のようです。

蘇民将来の説話を 読んでいれば 
旅の途中 牛頭天王は、ある兄弟に
泊まる宿を 求めますが、 お金持ちの弟
巨旦将来には、断られます。 
貧しいながらも 慈悲深い兄 蘇民将来は
泊まるようにと もてなしてくれました。 

慈しみ 憐み 思いやり やさしさ …の
愛情のある行いのある 家系が
先祖代々 ~ 子孫へ  厄災から
守り継がれていく 物語です。 

一言で 「 」とは、広くて 深い言霊です。 
宗教の違いで、愛に代わる言霊があります。 

仏教でいう 愛は
慈しみ 憐み 思いやり やさしさ …などの
慈悲 」なのだそうです。 
孔子を始祖とする 儒教などの信仰では 
」であり

鎮魂

また他の宗教観の中にも
「 愛 」に代わる 言霊があって
日本国内、 世界の国々 
宗教観、世界観、人生観のなか 
愛とは、何だろう ?
愛であれば、どうするだろう ?
皆それぞれに、受けとめられている
のだと思います。 

そのような 心の在り方 行い
子孫
(未来)を 守り 繁栄させ
繋げていくことの大切さを 伝えている
物語です。 


また牛頭天王とは、畏れ鎮める神
疫神であり 厄神の 守護神です。

疫病という祟りは、現世にそのまま 
恨みつらみなど 残したまま亡くなられた
祟り神や 人々 怨霊の祟りであると
考えられていたそうです。 

祟り神
(たたりがみ)
荒(ぶる)神なのです。 
荒御霊であり、畏怖される神様です。

畏れ多い神様を お祀りすることで、
祟りを鎮め 力強い守護神となります。 


京都八坂神社
(祇園社)のお祭り
京都祇園祭り
(ぎおんまつり)の起源は 

昔 平安時代 疫病の流行によって、
863年朝廷が、平安京 神泉苑での
祇園御霊会
(ごりょうえ) にて
疫神や 死者の怨霊を 鎮める
お祭りが行われたのが始まりとされ
 
その後 疫病の流行は、治まらず
お祀りされたのが、牛頭天王
あったそうです。 

後に 祇園祭りの御祭神は
須佐之男命
(すさのおのみこと) として
神仏習合 同一神とされてきました。 

日本は、各地で このように信仰される
神々様は、多いらしいのです。 

崇徳天皇
(白峯大権現)
菅原道真 (天満天神)
平将門 (将門大明神) など

神々様は、祟り神として 畏怖され 
また守護神として お祀りされています。 


畏れに対して
畏怖 畏敬の念を抱く

(日本には、根付いている人が多いように
思うのですが)


それは、畏れに対して
危機感を 抱くことにも通じて

その心は、自然に 行いにも
変化が表れてきます。 

神話などに登場する
荒神 ( 荒ぶる神様 )

神様も 神を宿す自然も 人間も
畏れ多いもの

時々 荒れ狂うような うねり
呑み込まれ どこかへと
押し流されそうなほどの
威力ある


それは、人間の心の中にも

見られます 


個人的に巡っている

弟橘媛命を足跡追いかけて♪



弟橘媛命
(おとたちばなひめ)
日本武尊
(やまとたけるのみこと)一行と
相模国の走水から 上総国へ 東征中
船で 海を渡っているとき 
荒波に遭い 波を静めました。

弟橘媛命は、荒ぶる海の神
(龍神)の 
荒魂を 鎮めるほどの 巫女でした。
 
巫女による 鎮魂であり 供養です。 


日本武尊と弟橘媛命の物語

物語を 深く読んでいくほど
日本武尊と 弟橘媛命 共に
互いへの愛情と
そして弟橘媛命は、日本武尊の
その奥に 率いる大勢の人たちの姿も
見ていたのでしょう。

先の任務、未来を見据え 
また巫女としての任務
(使命)として
数人の巫女と 海の神に 身を捧げました。

物語から、様々な想いが受け取れます。 

神も 自然も 人間の心にも 宿る
慈悲深い 心があり 

そしてその反面
祟るほどの畏れのある
荒ぶる神であり
荒ぶる自然であり 人間でもあります。 


畏怖 畏敬の念を抱く

畏れと 向き合う
畏れを 受けとめる 心の力は

心の強さを養い
その人の守護する力となって
いくように思えてきます。 

それは、人間本来の 心と体の
自然治癒力 免疫力を 自然に
高めているのではないかな ?と
思うのです。 

先祖から 子孫へ
血縁
(霊縁)の 繋がりは
遺伝子(DNA)の 繋がりでもあり

遺伝子(DNA)レベルでも、耐久性に
変化が見られ 備わっていくように
思えてくるのです。 

その土地に根差した 信仰教え
先祖代々から 子孫の 体と 心と 魂へ
受け継がれていきます。 


そしてココからは
私の個人的に、受け取っていることで
気のせい?かもしれません。


今 世の中が、このような状況のなか
日本全国
(都道府県)の中で 
特に 東北の岩手県では、未だコロナの
感染者の広がりを見せていない県だと
言われています。

それは、県民性
(真面目さなど)
その土地柄
あまり密集しない 建物や 人 … など 
きっと様々な偶然 ?が 重なっている
ことだと思いますが … 

岩手県は、蘇民将来の説話
お祭り
(蘇民祭など)が 土地に 根差した
信仰心が 根強いこともあるのでは … と

神様に 守護されているのかもしれない 
きっと昔から、先祖代々 ~ 子孫へ
伝えられてきた信仰 教えなど

愛のある心 その行い
また畏怖 畏敬の念を抱いて
畏れに対する 受けとめる力が
備わっているのでは ?
 
信仰心 信じる力
支え 拠り所となるものは
心と 体に 多少なり影響しています。 

その土地に 根差して、命を繋げ 
守り 育んできてくれた
先人たちがいます。 

やはり一人 一人の人間の
心と その行いによるものであり

そして永く栄え 子孫
(未来)へ 
繋げていくのは、その土地で
生活や 仕事を営む (民)だと
思います。

昔は、現代のような 疫病など
流行ったとしても 治癒するワクチン
などありませんでした。 

今、命を救うため
医療関係の人達が、医療現場で
見えないウィルスと 戦い
護ってくれています。 

人を生かすため、何が必要で
大切なのだろう ?
あらためて考えさせられます。 

ひとり ひとりの

生かしてほしいです。

人々が …、  民が …
つくり上げてきました。
日本の国は。

歴史遡れば、何度も繰り返し
(民)は、蘇ってきたのです。