少し私の子ども時代のことを書きたいと思います。

 

 

私の母は、私が幼い頃は家にいました。

 

なので、私は保育園ではなく幼稚園に通っていました。

 

 

小学生の頃は、最初の方は小さな工場で母がパートをしていたのを覚えています。

 

 

そのあと、どのタイミングか忘れましたが、母は保険の営業を始めました。

 

 

私は小学低学年のうちは学童に行っていましたが、

 

3年生からは鍵っ子になって、

 

 

平日は週に3回ほどは時間になったら自分で鍵をかけてバスケットの練習に行くようになりました。

 

 

 

私が幼い頃から小学生にかけての母親像は、なんとも表現しがたいところがあります。

 

 

一番最初に思い出すのは、こわかった。

 

幼稚園の頃は、母が不機嫌になるとビクビクしていたのを覚えています。

 

 

多分体調もあまりよくなかったのかもしれない。

 

何かちょっとイライラすることがあったのかもしれない。

 

今になるとそういうことだったと思うのですが、母が不機嫌だと「自分のせいだ」と思っていました。

 

 

だから母親のご機嫌をいつもうかがうようになりました。

 

 

優しいときは優しかったけど、起伏のわりと激しい母親だったので、常にご機嫌を伺っていました。

 

 

小学生になると母親が働き出して、わたしは学童に行き始めますが、

 

その頃の母親との関係はあまり記憶にありません。

 

 

でも、母親のことが一時期とても嫌いな時期があったのは鮮明に覚えています。

 

 

厳しかった記憶があるので、とても窮屈だったんでしょうね。

 

 

私が母親に言い返せる性格だったらよかったのですが、こわさもあるし、

 

 

元々無口で自分の気持ちを異常なほどに自分の中にしまい込む性格で、

 

 

一言も母親に反発することができなかった。

 

 

心の中ではしてましたけど。

 

 

 

本当に一言も発しないと言っていいくらい、

 

都合が悪くなると、または大事な局面では喋らない子どもだったんです。

 

 

 

言いたいことがあっても、全部、全部、心の中に押し込めて、

 

 

息ができなくなるくらい自分の中に感情を押し込めていた記憶はあります。

 

 

その記憶というよりは、そのとき苦しかった感情だけを体が覚えている感じです。

 

 

水の中に潜って息ができない苦しさってあるじゃないですか。

 

まさにあれです。あの苦しさを体が覚えています。

 

 

 

その頃が一番母のことが嫌いだと思っていたかもしれません。

 

 

でも、言い返せないから、私は小学生の頃、母の写真を破ったことがあります。

 

 

内緒です笑

 

 

でも、それくらいしないと自分の心が保てなかったんです。

 

 

でも、それでも母親が好きでした。

 

母と子の関係って不思議ですよね。

 

 

そして、母親が仕事に行き出すようになってからは

 

母はとても忙しくしていたので、寂しかったのは覚えています。

 

 

写真破るほど苛立っていたけど、母がいない家に帰るのはすごく寂しかったです。

 

 

 

私の母は、強くて弱い人でした。

 

逆か、

 

弱くて、強い人でした。

 

 

いや、本当にどちらも持ち合わせていたと思います。

 

 

 

私たちのことはとても愛してくれていたし、お母さんはなんでもできると思っていました。

 

 

幼い頃はよく不機嫌でこわかったけれど、

 

 

だけど、いつも母は何かあれば私たちを守ってくれるという信頼はありました。

 

 

ただ、

 

自分が大きくなるにつれて、母親の違う側面を見つけるようになります。

 

 

ちょっとはっきりとした記憶がなくて具体的なことが言えないのですが、

 

 

時々、あの時は本当はこうだった、ああだったと、

 

ぽつり、ぽつりと後悔したことや、不満を口にするのを聞くようになります。

 

 

なんか、後からそういうことを言うタイプなんですね笑

 

 

いい顔をするんです。子どもにも、世間にも。

 

今、分析するとそんな感じです。

 

でも、それが母のプライドだったのかも、しれません。

 

 

 

その時に感じた気持ちっていうのがあって、これが大事なのですが、

 

「最初からそう言ってくれたらいいのに」

 

という気持ちでした。

 

 

弱いのに、強い母親像をいつも見せてくれていた母に、いつしか気づくようになりました。

 

 

いや、きっとどちらも本心だったんだと思います。

 

 

でも、母の弱さは見せられたわけではなく、私自身が日々の中で感じ取るものだったので、

 

 

私に見せてくれる表の顔と、裏の顔のギャップを感じていました。

 

 

 

そのギャップに対して、

 

「最初からそう言ってくれたらいいのに」

 

という気持ちが常にありました。

 

 

昨日タイムマネジメントグループの月一定例ミーティングの日で、

 

「自分が仕事をすることで子どもを犠牲にしたくない」という話がでたので、 

 

 

自分が子どもの頃ってどうだったかなと思い、

 

思い出してみようと思い、

 

記憶を辿って書いてみたのですが、

 

 

ここまで書いて、大したこと覚えていないと言うか笑

 

 

最後、話がきちんと落とせるかわかりませんが、

 

ここまま書きますが、笑

 

 

 

 

仕事をしている母は忙しそうだなと思っていたことはある

 

それでも母が私のことを笑顔で見てくれたいた記憶もある

 

でも鍵っ子の時期は寂しかった記憶もある

 

夕方バタバタと帰ってきて夕飯の支度をしている母を見て、お仕事がんばってるんだなと思っていた記憶もある

 

誕生日の日はケーキやご飯を色々作ってくれたこと

 

 

断片的に覚えている記憶や情景、感情は色々あるけれど、

 

 

一番はこれです。

 

 

母は起伏が激しかったし、私の幼い頃の母の記憶は決してきれいなものばかりではないけれど、

 

それでも母が私や妹をとても愛してくれていたという鮮烈な記憶。

 

 

あとは、

 

「最初からそう言ってくれたらいいのに」

 

という気持ち、この2つですね。

 

 

 

私も今、小さな子どもがいながら仕事をしていて、9年目。

 

小さな頃から保育園に預けているし、学童にも行っているし、

 

休みの日に私が仕事がある日もあります。

 

 

私自身の子どもが私の仕事をどう思っているかは正直わかりません。

 

寂しい思いをしている時もあると思います。

 

でも、我が家はこういうもんっていう感じを子どもから感じる時もあります。

 

 

 

私がこの仕事を始めたとき、最初は、旦那さんにも、子供にも迷惑をかけない範囲でやっていこうと思ってスタートしました。

 

 

  • 休みの日は仕事を入れない
  • 仕事をするのは、平日の昼間だけ

 

 

家族の時間には、影響を与えないようにコントロールして仕事しよう。

 

そう思って確かに始めました。

 

 

でも、自分が、この仕事と出会い、本気で向き合って取り組んでいく中で、

 

 

その制限の中ではやりきれないことを自覚していきました。

 

 

自分のキャパの中だけでなんとかできるとたかをくくっていた自分でしたが、

 

 

そんなわけない。仕事ってそんな甘くなかった真顔

 

 

そんな自分のキャパのなさと、力量のなさを自覚すると共に、もうひとつ、

 

私自身が本当にしないといけないこと、向き合わないといけないことは何かに気づいた瞬間がありました。

 

 

これは、結構初期の頃です。

 

 

それは、「家族にお願いをする」ということでした。

 

 

旦那さんにも、

 

私は今仕事でこうして行きたいと思っているし、

 

ちゃんと仕事が仕事として成立するように頑張りたいし、

 

そうやってお金も稼いで、家族で旅行とかも行きたいし、

 

そんな風に思ってる。だから、もう少し頑張らせてほしい。

 

 

休みの日も勉強行ったり、仕事が入ったりするかもしれないけど、

 

助けてほしい、と、

 

 

確かそんなことを旦那さんと会話したように思います。

 

 

それから子どもには、等身大の自分を見せておこうと思いました。

 

あと、子どもにもお願いをしました。

 

 

お仕事忙しいときもあるかもしれないけど、

 

○ちゃんと○ちゃんのことが大好きだから、お母さん頑張るね。

 

だから、助けてほしいと、お願いをしました。

 

 

いやお願いしたかな、まだ小さかったからわかってないかもしれない。

 

 

ただ、「ママ、頑張るね」って伝えていたと思います。

 

 

お父さんがお仕事で忙しい時は私が子どもたちに

 

「お父さん頑張ってくれてるからね」と伝えて、

 

 

私が仕事で忙しい時は、旦那さんが子どもたちに

 

「お母さん頑張ってるからね」と伝えて、

 

 

なんかよくわからんけど、今日まできています。

 

 

子どもたちも寂しがる日もあったけど、日に日にたくましくなっています笑

 

 

 

何が言いたいかというと、

 

 

私たち家族は、「協力する」という選択肢を取ったということでしょうか。

 

 

 

それから不完全な自分を、私はかなり子どもに見せていると思います。

 

 

子どもに対しても、裏と表を作らないようになったと思います。

 

 

仕事が大好きだということも、伝えています。

 

 

「今日もお仕事頑張るわ!」とかも、伝えています。

 

 

子どもが休みたいと言っても、

 

「ママはでも今日お客さんくるから午前中はお仕事するからね?」とかも、伝えています。

 

 

今日は一緒にいるね、とか。そういうのも伝えています。

 

最近はたまに長女だけ連れて、パンケーキ食べに行ったりとか。

 

 

 

、、、

 

 

え、なんの話?笑

 

 

 

結論としては、私は家族を犠牲にしているだろうか?と考えてみた時、

 

正直わかりません真顔

 

 

 

私はわりと好きに仕事させてもらっている方だと思います。

 

犠牲にしている側面も、切り取り方によってはあるのかもしれません。

 

寂しい思いを子どもたちがしているときもあるかもしれません。

 

けど、寂しいばかりでもないのかも、しれません。

 

 

そういう話を子どもとすることもありますが、子どももこういうもんだと思っていて、

 

正直よくわかりません。

 

 

子どもも泣いている日もあれば、笑っている日もあります。

 

私が怒っている日もあれば、調子のいい日もあります。

 

 

 

なんか、こんな感じでいいんじゃないかなぁと思っている自分がいます。

 

 

家族は大事です。

 

でも、だからと言って何かを犠牲にしているという感覚はあまりありません。

 

 

仕事も大事です。ライフワークなので、今のところ神様が私から仕事を取り上げない限り、

 

自分から今の仕事を放棄するという選択肢もありません。

 

 

 

 

かと行って、毎日がうまくご機嫌に体調も絶好調で振舞えている自分かと言われると、否です。

 

 

ばったばたでどうしようもない日もあります。

 

子どもに当たり散らす日もあります。

 

旦那さんにも相当に迷惑をかけているかと思います。

 

 

でも、しょうがない。

 

 

これが今の私だし、そのあとは謝って、毎日眠る前には「愛してるよ」で眠りについて。

(ほんでそのあとまた仕事したりして)

 

 

そうやって自分成長させながら、家族と一緒に作っていくしかないのかなって。

 

 

わからないけど。

 

 

そんなことを思った今日でした。

 

 

 

 

母親であっても、完璧なわけじゃない。

 

家族だって、人との関わりです。

 

一緒に作っていけるのが、しあわせなのかなって。

 

 

おもったり、おもわなかったり。

 

 

 

これは5年前、子ども二人連れて横浜まで仕事に行ってた時の写真。

 

旅行じゃなくて、私の仕事に連れ回した時の写真です。笑

 

長女4歳、次女2歳くらい?

 

 

 

 

ということで、良い思い出。

 

 

どんな日だって、今日は今日しかないもの。

 

さ、今日もがんばろう^^

 

 

 

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