今日は改めて誕生から今までの私のストーリー、プロフィールをご紹介させていただきます。
幼少期
私は、埼玉県で生まれ、三姉妹の真ん中で育ちました。
2歳の時に千葉県の船橋市に引っ越し、祖父母と共に7人家族の中育ちました。
小さなころからお転婆で、外で遊ぶのが大好き。
暗くなっても帰って来ない、としょっちゅう母が探しに来ていたのを覚えています。
今も変わらずですが、当時から人懐っこい性格で、だれとでもすぐ仲良くなり、知らないおじさんに写真を撮ってもらった、というエピソードもあります。
(親切なおじさんだったので、後日写真をプリントしてプレゼントしてくれました。今の時代だったら危ないと親に怒られますね(笑))
今考えると、幼稚園生なのにそこまで遊びに行ってたの?というくらいの距離を遠征していたり。
とにかく活発な子どもでした。
小学校に上がってからももちろん外で遊ぶのが大好き。
男の子とばかり遊んでいた時期もあり、帰ってくるとランドセルを放り出して外で思い切り駆け回っていました。
動物が大好きで、猫を何度か拾ってきたり、迷い犬を保護したり、ウサギや鳥、ハムスター、モルモットなど沢山の動物を飼っていました。
拾ってきた猫が死んでしまったときは悲しすぎて、何時間も泣き通したのを覚えています。
寛大に、子どもの意見を尊重して育ててくれたおかげで、自己肯定感が高く、ポジティブな考え方ができるようになりました。
私の料理の原点
当時専業主婦だった母は料理が好きで、いつもテーブルに沢山の美味しい料理を作ってくれていて、私は毎日の夕食の時間が楽しみでした。
グラタン、ハンバーグ、ミートローフ、中華ちまき、ピロシキ、肉じゃがやおでん等々、いろんな国の料理をテーブルいっぱいに作ってくれました。
お菓子作りも得意で、誕生日のケーキはもちろん、白鳥の形をしたシュークリーム、ババロア、オムレツケーキなど、お菓子もよく作ってくれていました。美味しいのはもちろん、見ているだけで幸せなお菓子ができる魔法の工程を眺めているのが、私は大好きでした。
そんな母だったので、自然と料理の手伝いをするようになりました。
そして、私が失敗したとしても母は文句も言わずお手伝いをさせてくれたおかげで、私も料理が好きになっていきました。
そんな明るくのびのびとした小学生時代でしたが、中学生になると両親の喧嘩が絶えなくなり、高校に入る前に両親が別居。
それまでは大きな一戸建てに住んでいたのですが、母と姉妹と一緒に引っ越した先は、六畳二間の古いおんぼろアパートでした。
それまでは、欲しいものは買ってもらえて、お金がない、というのを感じたことがない暮らしだったので、こんなところに住むの!?と、とてもショックだったのを今でもよく覚えています。
専業主婦だった母が働き始め、忙しくなった母を助けるために、高校生になった私は時間があるときにはご飯をつくってあげよう、と今まで教えてもらったことを思い出しながら料理をしてみることにしました。
沢山失敗もしましたが、料理をするのは楽しく、なにより母がとても喜んでくれることがうれしくて料理がより好きになっていきました。
学校生活では友達がたくさんでき楽しかったのですが、家族のことや古いアパートのことを友達に知られたくない、と誰にも言わずにいたので、いつも隠し事をしているような気持ちで、高校3年間は私の人生の中でも少し暗い時代でした。
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