いつもキリンのブログをご覧頂きありがとうございます
荒ぶる祟り神の姿から
恵みをもたらす慈悲の神へと姿を変え
平安中期より現代に至るまで学問の神として
人々の信仰を集める菅原道真公
菅原道真公を祀る大阪天満宮では
千年の伝統を誇る日本の祭典
天神祭が7月24日、25日に行われました。
昨年は新型コロナウイルスの蔓延をうけ
神職と関係者で神事のみ行われましたが
今年は伝統継承の必要性から、天神祭の中心である御鳳輦が復活し
距離は短縮されましたが神幸列が行われました。
本日のキリンのブログは天神祭2021を全力でお届けいたします!!٩( ''ω'' )و
令和3年7月24日宵宮。
堂島川では、川に神鉾を流して
御神霊を移す場所を決めたとされる「鉾流神事」が厳かに執り行われました。
今年の神童に選ばれた西天満小学校6年生の柳生晃希君が斎船に乗り込みました。
この日を迎えるにあたり、前月6月に柳生君の自宅では大阪天満宮の神職や
西天満連合神鉾講の関係者が出席し「自宅清祓式」が行われました。
神職が室内に祭壇を設け祝辞を読み上げ、各部屋を清めて回ります。
天神祭が終わるまでの間、日々の礼拝や牛や豚など
四足動物の肉を食べてはならないといった食べ物の制限、
様々な取り決めを守って一か月以上過ごしてきました。
この斎船を漕いでいるのは
以前キリンのブログでご紹介しました太一さん。
御鳥船の漕ぎ手として努力を積み重ねてきた太一さん
その努力は天に通じ…
天神祭の柱である鉾流神事「斎船」の漕ぎ手となりました。
櫓を漕ぐことが大好きだった健さんもこの姿を見て
天国から微笑んでいるような…
そんな気がしました。
鉾流神事は天神祭の起源とされ1000年以上前の951年に始まりました。
川に流した鉾が流れ着いた場所で、神様をお迎えする神事が執り行われたのが
鉾流神事の始まりといわれています。
神童の柳生君が白木の神鉾を堂島川へ放ちました。
神鉾には菅原道真公の御神霊が宿っており
年に一度、天満宮を離れた菅原道真公が現世を眺める時です。
左側に見えている藁で作られたものは「こも」と呼ばれるものであり
中には人型をした和紙がたくさん詰められています。
この和紙には厄払いをした人々の厄が宿るといわれ
昔から「一般の人は、こもに手で触れてはならない…」
と言い伝えがあります。
「海ならず たたへる水の底までも 清き心は月ぞてらさむ」
意訳:海よりも、さらに深い水の底にも清ければ月が照らすように
私の心にも、いつか無実の罪が晴れ、光が照らしてくれるだろう…
この歌は太宰府へ左遷された菅原道真が、
無実の罪であることを月が照らし、明らかにしてくれるだろう
と詠んだものです。
出発の時を待つ御鳥船の帆先から、美しい光の筋が続いていました。
堂島川に太鼓の鼓動が響き渡りました。
御鳥船出発の時です。
太鼓は漕ぎ手同士が息を合わせる為の指揮者のような存在。
漕ぎ手は太鼓の律動に呼応するように漕ぎ、櫂は美しい軌跡を描きます。
今年、御鳥船の水先の大役を務めるのは渡辺さん。
舵に針路を示し神鉾へと誘導します。
水先は神鉾を収納する役目があります。
大昔は神鉾が流れついた場所で御旅所祭が行われていましたが
時代の流れや、その時代の風潮などにより様式は変化を続けてきました。
現代では神鉾を御鳥船によって収納し、大阪天満宮へ神鉾をご返納する形へと
変遷してきた経緯があります。
現在の川は昔に比べると地盤沈下によって水位が上昇しており、
川下まで行くと船渡御の際に橋を通過できない船がでてきました。
また、「川にものを流さない」という環境問題などを大阪天満宮が考慮し
生まれたのが御鳥船であり、現在の鉾流神事です。
舵は水先の示す針路に船をコントロールする重要な役目
しかし御鳥船にはラダーと呼ばれる舵は装備されていません。
船をコントロールするのは一本の櫓です。
櫓は鎌倉時代までに中国から日本に伝わったと云われています。
江戸時代の前期までに少しずつ改良が重ねられましたが、
その後現在に至るまで400年間同じ形状を保っています。
舵は一本の櫓で推進と旋回の操作を同時に行います。
櫓を作れる職人は後継者不足により、もう日本に数人しかいません
この櫓は広島の職人さんによって作られたものです。
遠くのほうに見たこともない船がいました。
かつて織田信長の正規軍を撃破し「海の戦国武将」と呼ばれた村上水軍
海を領地として治め、通る船の安全を守っていた村上水軍は、
のちの大日本帝国海軍の前身といわれています。
その主力船がこの小早船です。
5本の櫓を使い圧倒的な速さで進んでいきます。
国内外の平安、疫病退散を祈念し
愛媛県今治市より鉾流神事にご参加賜りました。
小早船は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した船。
江戸時代には小早船が各藩の正規軍船の多くを占め、快速で警固任務に適しており
徳川家康は彦根藩の井伊氏に小早船を水軍の主力とするよう命じました。
船体は釘一本使われておらず、全て木材のみで作られています。
前世もカッコ良く船を漕いでいただろうなぁ~と思わせるようなタピ。さん(正さん)の姿がありました。
櫓は長い翼のような先端を半円を描くように左右に動かすことで推進力が生まれます。
この時、櫓は船上の支点で支えられていてテコの原理が働きます。
5本の櫓で圧倒的な速さと、高い機動性を発揮し御鳥船の後方へと向かいます。
水先の渡辺さんの手によって無事、神鉾は御収納されました。
今年は潮の流れが速く、さらに川岸近くまで神鉾が流れ
周囲に障害物が多い状況の中、1回で神鉾に到達する操船技術。
これは、やはり努力の積み重ねであり、天神祭を成功させたいという
男たちの心意気を感じます。
菅原道真公の御神霊を乗せた御鳥船と
後方に就き御鳥船を護衛する小早船
平安と疫病退散を願う粋な船のコラボレーション。
今、この時代だからこそ実現した、夢のような…
まるで江戸時代から現代にタイムスリップしたかのような光景。
神鉾御返納は例年であれば大阪南港付近から出発したどんどこ船が
大阪の街に夏の到来を知らせる太鼓と鉦を打ち鳴らしながら木津川をさかのぼります。
天神橋付近に到着したどんどこ船はクレーンで陸揚げされ
神鉾を乗せたどんどこ船が参道を駆け抜け大阪天満宮へ宮入します。
しかし、昨年に続き新型コロナウイルスの感染予防対策のため
船の姿はなく、今年も参道を歩いて宮入りする形で行われました。
神鉾は男たちの手によって、慎重に運ばれます。
天神祭は時代を重ねるごとに
浪速繁栄のシンボルとして絢爛豪華な姿へと発展してきました。
しかし千年前の天神祭は、もしかすると…
このようなシンプルな姿だったのかもしれません。
この方は、キリンの撮る天神祭写真を宝物にしてくれているいんどめたしんさん(西山さん)
昨年の天神祭写真も素敵な動画にしてくれています。
例年船渡御の台船では爆笑マイクパフォーマンスを披露、お客様に笑いと感動を与えてくれる
エンターテイナー♪
今回撮影に来られていたレッドロビンさんも、いんどめたしんさんの台船に乗船された事があります。
男たちは大茅の輪へ到達すると
頭の鉢巻きを外し、一礼て表大門をくぐります。
大茅の輪は人々の無病息災を願い悪疫を祓うためのもので、
近江八幡和船観光協同組合が1998年から毎年7月に奉納が続けられています。
その奥の大きなしめ縄は「大注連縄」
2002年に行われた道真公の死後1100年大祭記念時に
出雲玉造天満宮奉賛会、玉湯町観光協会、玉造温泉旅館組合から奉納されたもので
神域と現世を隔てる結界を示しています。
この後、神鉾は天満宮の禰宜(ねぎ)へ無事ご返納されました。
禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、
神の心を和ませてその加護を願うという意味であります。
無事に神鉾御返納を終え、船へと戻る男たち。
今年も船渡御が中止となり
みんなの胸には…
いろんな思いがあったと思います。
来年こそは威勢の良い鉦と太鼓を打ち鳴らし
大阪に夏の到来を告げる「どんどこ船」が見れると信じています。
伴走船「木場」の船長さん
船長さんは元カメラマン。
これまでキリンが伴走船の上から撮ったどんどこ船の数々。
船長さんの巧みな操船のおかげなんです。
帰船途中、大阪の街へ粋なサプライズ
大阪の街は水都大阪と呼ばれ水路が張り巡らされています。
どんどこ船講の男たちは神出鬼没です。
いつ、どこに現れるか全く分からない…
ちなみに、どんどこ船の「若中」「小若」の二隻は
天神祭の船渡御でも運航スケジュールは完全極秘
大阪市民でも遭遇する確率はごく僅かであり
船舶業界のドクターイエローと呼ばれ
出会えた年は幸運が訪れると云われています。
だからこそ見れた時に心躍ります♪
「大阪に笑顔を♪」
大阪の街に突然やって来た御鳥船
観光客は一斉にスマホやカメラを向け、
道頓堀に笑顔が拡がります♪
そしてさらにサプライズ!!
道頓堀の方々とご一緒に手打ち♪
「打ちまーしょ」パンパン、
「もうひとつせー」パンパン、
「祝うて三度」パパンパン
ヽ(^o^)丿うわぁー!!!って感動する人々…
みんなの顔に元気と笑顔が溢れていました。
幸せパワー凄すぎます!!
粋で硬派な男たち…
大阪にたくさんの笑顔を咲かせて
風のように去ってゆきました。
令和3年7月25日 本宮
菅原道真公は学問だけでなく弓も得意で百発百中の腕前を披露されるなど、
文武両面に傑出した人物として有名だったそうです。
菅原道真公の御神霊を御鳳輦に載せ、
大川までの約400メートルを約70人が往復する
「神幸列」が繰り広げられました。
御鳳輦とは、菅原道真公の御神霊を奉安する乗り物のことで、
御鳳輦を中心に神職や氏子をはじめ、
先導役の猿田彦神、お供の随身らが付き従い
沿道は絵巻物のような世界感に包まれます。
猿田彦は真っ赤な顔に長い鼻、
ぎょろりとした大きな目に太い眉…
長い白髪に長い白髭…
とても恐い姿ですが日本書記や古事記に出てくる神であり
宮崎県の高千穂の峰に瓊瓊杵尊が天孫降臨した際、道案内役をつとめ
その後、三重県伊勢の五十鈴川のほとりに鎮座したと云われています。
御鳳輦講は地元菅原町、樋上町などの氏子有志の講で、
興丁18名が古式ゆかしい衣装で粛々と曳いてゆきます。
多くの講が祭礼の「動」の部分を担当するのに対し、
御鳳輦講は神事の「静」の部分を担当しています。
この方はどんどこ船の子供たちが乗船する船「小若」を担当されている三宅さん。
子供たちにとって担任のような存在。
大阪天満宮の神職としてご活躍されています。
ゆっくりと祭壇へ運ばれる御鳳輦を見守る三宅さん
後ろ姿から天神祭に懸ける熱い思いが伝わってきました。
コロナ禍により2年連続船渡御が中止になり
大川に隣接した南天満橋公園では神の休憩所となる御旅所が設けられ
雅楽が鳴り響く厳粛な雰囲気の中、神の加護を祈願する神事が行われました。
17時31分 御旅所祭を終えた神幸列が表大門へと入ってゆきました
天神祭の無事終了を見届ける興丁たち
境内に入ると、先ほどまで御鳳輦を担いでいた興丁の間に夕陽が沈んでゆくところでした
長くのびる興丁の影は、とても美しく印象的で
天神様が「今年もありがとうな」と言っているような…
そんな光景の中、天神祭2021はゆっくりと幕を閉じてゆきました。
今年も貴重な天神祭の光景を撮影し、皆様にお届けすることが出来ましたヽ(^o^)丿
撮影にご協力いただきました多くの皆様…
そしてキリンのブログをご覧いただきました皆様に
心より感謝いたします。m(__)m
本日もキリンのブログをご覧頂きありがとうございました。

































