親分 | 福岡、大名は麺屋“光喜”大将の徒然草。 ~La Strada ラ・ストラーダ(道/伊)~

福岡、大名は麺屋“光喜”大将の徒然草。 ~La Strada ラ・ストラーダ(道/伊)~

お客として麺屋“光喜”のつけ麺の虜になり、終いには大将におさまった自称B級グルメ(笑)の、求道あり寄り道あり等々から道(La Strada/伊) と名づけた多岐にわたる徒然草でございます。

  茶道で触れたことで、書かないわけにはいかないことがあるので第2弾です。

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  天下の大親分清水次郎長と、勝海舟を含む幕末の三舟と称えられる一人山岡鉄舟の会話のくだりでございます。

  明治元年に新政府の官軍が清水港を攻撃した際に沈没した「咸臨丸事件」が起こりました。
この時に次郎長一家が咸臨丸に乗っていた徳川軍を逃がしたり、清水港に浮遊していた屍を拾い集めて手厚く葬ったそうです。
その事を駿府藩に咎められ、次郎長は「死ねば仏だ、仏に官軍も徳川もない、仏を埋葬することが悪いというのなら、次郎長はどんな罰でも喜んでお受けします」と答えたそうです。

  この事件から次郎長と山岡鉄舟の親交が続き、生涯にわたり親交を深めていきます。
そして、次郎長は山岡鉄舟から色々なことを学び、感化を受けて社会活動を行ったり、地元の事業にもかなり貢献したそうです。
静岡のお茶の販路拡大や、富士の裾野の開拓事業などにも次郎長が携わったそうです。
また、懐に常にお菓子を入れていて子供達に分け与えたり、お金に困った人がいたらお金を分けていたそうです。

  そんなある日、鉄舟が次郎長に「次郎長よ、お前の子分でお前のために命を捨てる人は何人いるかい?」と尋ねました。

次郎長は…
あっしのために死ぬような子分は一人たりといやしませんよ。しかし、あっしは子分のためなら、いつでもこの命を投げ出す覚悟はできています

  次郎長の前半生は博徒、後半生は激動の幕末から明治を生き抜いた大人物。
今でも次郎長の精神は清水市民の心に根付いているそうです。
もし、次郎長が山岡鉄舟と出会っていなかったら、ただの暴れん坊で終わっていたかもしれません(汗)。
 
  次郎長親分から、この言葉を聞き出してくれた鉄舟に感謝です。
  昨日だったか、どこかの国のトップのことを「成功すれば自分の手柄、失敗したら人のせいにする人」と必殺仕○人がこき下ろしてましたが(笑)。

  自戒としてアップさせて頂きます(笑)。