政治家とは、国民の代表である。
政治家がスポーツを消費の対象としか考えていないということは、日本国民が、檜舞台だけを楽しんであとはほったらかしで構わないと考えていることでもある。
政治家の発言のブレが問題だというならば、いま岡田監督を名監督だと祭り上げている人たちは、数週間前、どんな態度で岡田監督を眺めていたのか。
勝つ日本を見るのがそれほど嬉しいなら、次も勝てるようにするための努力が必要なはず。
相手を圧して勝ったわけではない場合は、なおさらである。
だが、日本人はスポーツを育てようとしない。
ただ消費する。
ボリス・ベッカーの出現をきっかけに、ドイツのテニスは一気に飛躍した。
ベッカーを消費せず、きっかけにしたことで後進を育てる環境を充実させていった。
日本人は、社会全体で第2の伊達君子を、第2の萩原兄弟を育てようとしただろうか。
現場の人間の努力だけでは、どうにもならないことがあることを、日本の政治家は、もとい、日本人は、わかっているのだろうか。
了
*2010年7月2日(金)
スポーツニッポン
「また思い知らされる…勝者を消費する日本」
金子達仁“W杯戦記”
(スポーツライター)
より原文のまま投稿。