自分が向き合って話し合ったり謝ったりして、でも相容れないものがあったら。
手元に最後、残ったものを大切にしたらいい。
一緒に謝ってくれた人や一緒に歩いていく人、立ち止まって手を差し伸べてくれた人もかならずいる。
なにより、大好きなバンタンが私達アミにはいる。
ありがたいです。
好きな人がいて、それが異国のアーティストであっても小さなスマホ1台でその姿を見たり歌を聞いたり、ブログを書けたり、その中で自由に意見できる環境下にいれることって素晴らしいですよね。
好きな人のために怒ったり泣いたり笑ったりできるって平和の中にいられるからできることだから。
争いごとは世の中から常になくなることはない。大きくたって小さくたって必ずあるのだから仕方がない。
誰かは誰かに傷つけられてそれを許すことはできないし、許さないからその人が間違っているわけでもない。
アンチを許せない。
当たり前だ。そこに異論を唱える人はいないと思う。だけど。
あんなのを相手にしていたら言葉も強めになる。煽り返すのは糾弾していくための手段。
やったことに対して文句を言ってる人の理解なんて求めていない。
それは少し自己解釈に優しすぎるかな。
その行動ではなく手段によって嫌な思いをしたたくさんの人間もいるのだから。
気持ちが崇高であることは疑わないし、戦うことを悪だと思う人はいないと思う。でも、発した言葉、態度に違和感を覚えたり怖くなったり気持ちが悪くなった人がいることを忘れないで下さい。
バンタンファンだけではない公式ジャンルの中で、アンチ糾弾のために用いた手段が、発した言葉がバンタンの品位をも落としたことは紛れもない事実です。
アミの品位は言わずもがなですね。
いわゆる外野でこの件になにかをつぶやいている人間は、行動に対して疑問を感じた…というよりも発した言動の胸糞の悪さに対して思うことを書いているのだと思う。
そしてそれはアンチがメンバーを貶めてる!て怒るのと同じように、よくもバンタンとアミのイメージを貶めてくれたな!と言いたいくらいにはなかなかにイコールな汚い言葉だった。
ただ。
冒頭にも書いたように、相容れる感情を持てない者同士はするすると己の篩から落ちていく砂を取り戻す必要はなく、手元に残った粒を大切にしていく。
それでいいのだと思います。