さて今回は、「児童虐待を考える 」の第3回…なんですが、この記事のひとつ前に書いた「女子生徒刺傷事件を考える 」が、本来3話に書きたかった内容を代弁しておりまして…。

ですから今回は、それを読んでいただいた前提でお話しさせてもらいますね。


●「甘いモノ」を与える親の気持ちは?

簡単で分かりやすい例えを。

「甘いモノ大好き!」
…普通、この言葉に眉をしかめる人はいないよね。

甘いモノが好き…
大いに結構、食べなさい心行くまで、うんうん…。

おっとしかし待て。

これは良識をわきまえた大人同士でのやりとりだ。

これが親子となれば勝手が違う。
「今日は茶ダンスに置いてある饅頭を食べなさい(表現が古くさいか)」
「食べたら歯を磨くこと!」
「二つまでにしときなさい!」
…等々。

これらは親が子に対し、
決まりを守ること
健康に気を付けること
限度をわきまえること
…などを伝授するのにあまりに有名な文言たちであり、大人たちはこのルーチンワークにいくら子供が「わかってるよ、わかってるってば!」と、それこそ眉をしかめられようと、同じ事を言い続けることで彼らの脳ミソにインプットさせるのである。

もしもこれらの良識をアタマに植え付けられなかった子供たちが大人になったらどうなるか?

敢えて大袈裟に言えば…
そこらにあるものは断りなしに食べ
食べても一向に歯を磨かず
そして際限なく、あったらあっただけ食べる
…そんな大人が出来上がるかもしれないのだ。

彼らはそんな常識さえ教わっていないから。

成長の途上で運良く、誰かに指摘されたり、或いは恥をかいたり…そんなことが無ければそうとは知らずに大人になってしまう。望む望まざるに関わらず、だ。

結果、どこか大事な席で無遠慮なヤツだと烙印を押され、30代にして自前の歯は全て虫歯で無くし、挙句はやはり若くして糖尿病に…なんてこともありうる。

閑話休題。

もう分かるでしょ?
この「甘いモノ」を
現在の「インターネットをはじめとした情報に溢れる世界」に置き換えてみればよろしい。


●改めて痛感する「利便」と「危険」は表裏一体と言う事実

要は「インターネットをはじめとした情報の山」に触れる子供たちに、親がどれだけの予防措置や注意喚起をしてやっているか、と言うことなのだ。

極論に聞こえるかもしれないが、子供に歯を磨かせることができないのであれば、甘いモノは与えてはいけない。
だって将来、それで困った思いをするのは子供自身なのだから。


ここでようやく、昨今の事件に触れるけれど、保護者の児童虐待と女生徒刺傷事件は非常に分かりやすいケースだ。

虐待に関しては20~30代の両親達が、刺傷事件は加害者の女生徒が、それぞれが加害者でありながら同時に、現代の善悪入り乱れた情報の氾濫する世界に育った被害者でもあると言える。

何しろ彼らの親世代は、インターネットと言う「甘いモノ」が、甘いと同時にどれだけ危険であるかと言うことを認識するまでに子供が多感な時期を迎え、事実上その大海原に彼らを放り込んだままにしてしまったようなもの。

様々な遊びや流行りがそうであるように、それらへの適応能力は圧倒的に子供の方が高く、その世界でのスタンダードに染まった子供達は、それを知らない親達をある種、蔑む(さげすむ)ようになる。
これは別に悪い意味ではなく、遊びのルールを知らない親より、知ってる自分達の方がエラいような優越感ってあるよね、そう言う意味。

つまり、そこで培ったネット内の常識と言うヤツは、その世界の中では両親の教えをも駆逐すると言うことなのだ。


じゃあネット(をはじめとした情報社会)で多くの常識(非常識)を学んだ彼らが、現実世界で親御さんから多くを学んでいなかったらどうなるか?

答えはカンタンで、ネット内限定の常識だった諸々が、ネット外…現実の世界でも使われるようになるってことだ。

その極端な例が児童虐待であり、刺傷事件だと。


それがどうして今まで(と言うか今も)取り沙汰されず、そのままになっているか…

これもカンタンなことで、我々が受け取る情報の99%が、正しい情報や有益な情報であるから。
そして残り1%の問題を厳しく取り締まったなら、もしかすると正しい情報も規制の影響を受け、不便になるかもしれない…。

だから放置されている。

全部とは言わないが、様々な人間や企業、利益が絡んでいる以上、一番の理由だと思う。

私たちは、便利な世の中と引き換えに、実は扱いの非常に難しい「可愛い猛獣」を家庭に招き入れてしまったのだ。


●まずは「マヒ状態」から脱出しよう!

少なくとも、これを読んでくれた人たちは、いま自分が置かれている状況には気付いてくれたと思う。

いつも言ってる通り、全部を真に受けなくってもいいんだよ、「なるほどね」と思った部分を取り入れてくれたら。
だって私ゃ神様じゃありませんから。

ちょっと横道だけれどね、最近は自己啓発ブームって言うか…「お前誰だ?」ってな人までもが、あーしろこーしろって断定的にアドバイスしてるでしょ?アレがこの頃苦痛でね…。
ま、アレはアレで困ってる人たちを引っ張り上げてやるには必要な力強さなんだけど、自分はどっちかって言えば、皆は自分を変える能力が備わってるよって前提で、そのチカラをちゃんと活かすために、まずは身の回りの状況を知ろうぜ、考えて行こうぜ…ってスタンスなので、牽引力にゃ欠けるかもしれません。


おっと、本題に戻ろう。

じゃあこれを読んだ多感な年代のキミは、そしてそんなお子さんを持つ親御さんはどうすればいいか?ってことになる。

先ずは親御さんに。

あなたはお子さんに「甘いモノ」を与えていませんか?
与えているならちゃんと歯は磨かせていますか?
…そんな目でもう一度、お子さんの周りを見渡してみましょう。

そして年頃(笑)のキミへ。

世の中に万能の道具はない。
だからひとつの情報を丸呑みにするのは非常に危険であると知れ。
自分にとって「都合の悪い」意見、それは貴重なアドバイスでもある。

まずはここからだ。

結論として弱いのはわかっているが、この件に関しては私は草の根を担当しようと思う。

皆さんの意見は如何か?
皆さんもうご存知だろう、先日横浜の女子高生が隣の生徒を包丁で刺してしまった事件。

これを見て本当に歯がゆくなったのでブログに書くことにした。

皆さんはどう思いましたか?

「人間思いつめると何するかわからんねぇ…」
とか
「物騒な世の中になったなぁ」
とか、ぼやーっと考えちゃあいませんか?

私は日本の在り方のピンチだと、本当に心配でもう、ソワソワしております。

なんでかって?

だっておかしいでしょ、皆(厳密には皆ではないだろうが)が「また起こったか…」くらいの感覚であんまり危機感を抱いていないと言うか、今の日本が何故こんなことになってきてるのかってことまで真剣に考えてないように見えるんだもの。

このブログで展開途上の「児童虐待を考える 」と根を同じくしていると思えてならない今回の事件。
今はちょっと感情的で、まとまった文章を書く自信がないけれど、これを読んでくれている皆さんがこの問題についてちょっとでも考えてくれたらと言うことでまずは吐き出してしまおう。


●与えられる自由に偏りが大きいんだよ

もうこの見出しの通り。

今は老若男女だれもが、様々なメディアからの情報を摂取することが可能になった。
TV、雑誌、携帯、そしてPC等々。

好きなものが選べる時代になったんだね、良くも悪くも。

大人はここで気付かなきゃいけないんだ、
「まだ社会全体を見渡したことのない子供らが、メディアの社会と言う擬似的に創られたある意味『都合の良い世界』で社会勉強をしてる」
ってことに。

分かるかな?

自分らが小中学だった頃(にネットや携帯なぞ無かった世代限定だけど)、大人の社会をどれだけ知っていただろう?
多分、TVドラマなんかでやってる風景が、イコール大人の社会だったんじゃなかろうか?

良い人はより良く描かれ、悪い奴はホントに悪そうに見えたもんだ。
だからヒーローは絶対的な人気を獲得していたし、悪役は憎まれた。

つまり当時は、メディアが社会教育の場を担う側面があったんだな。

けれど何であれ、時を経れば多様性が生まれるのは当然のこと。

いつも勧善懲悪モノばかり観て我々が満足するはずもなく、善悪では量れない題材や、時には悪をよしとするもの、インパクトを重視するために残酷な描写が流布したりと、必ずしも万人に相応しいとは思えない多様性が世に溢れ出したのだ。

そこに加えて、フィルタリングが困難なメディア…携帯やインターネットが登場し、それぞれがより過激な方向へと加速した。

さっきも言ったが、多様化は仕方ないことだし、そんな描写や表現をただやめろとも思わないんだ私は。

ただ自分たちが少年時代に善悪や常識を学んだ、学べた環境が、今は途方もない情報の中の一つでしかなくなってることに大人が気付かないといけない。

今の子供らは選べる選択肢が多過ぎる。

それを大人が「子供は好きなことをすればいいんだ、自由にな」と、間違った部分で放任主義になってはいないだろうか?

自由にしていいってのは、ちゃんとした道徳教育が並行して為されてのことだよ。
それが昔は放っておいても学校やテレビ、家族や近所のおっちゃんおばちゃんがフツーに施してくれたから、そこで大きくなった我々は多少曲がった感性のものを見ても、
「これはあくまでエンターテイメントとしての表現」
と解釈できるんじゃないか。

それが…
・学校では先生がむやみに怒れなくなった
・テレビは率先して「リアルと勘違いするような非現実のドラマ」をこぞって放送
・家庭では各々の部屋にテレビやパソコン、ゲームがあって接点は激減
・近所のカミナリ親父ってどこ行ったんだ?
…こんな状況の中、今から社会のことを学ぼうって子供達が都合良く、学ぶべき道徳を摂取できるはずがないと思わないか?


●まとめ

以上を踏まえて今回の事件を振り返ってみよう。

この不幸な事件、皆さんどこかで見たような錯覚に囚われはしないか。

そうなのだ。我々は同様のシーンをテレビか小説か…何らかのメディア通して経験済みなのである。

加害者の彼女がそうだとは言い切れないが、彼女はこのように追い詰められるまでに、これらの情報に触れて育ち、いつしか一線を超えてしまうハードルが低くなってしまった可能性は否定できない。


皆さんどうお考えだろう。

いつもながら話が長くなってしまったので、私の結論は敢えて保留しようと思う。

皆さん、もう少しだけ…深く考えてみてはいただけまいか?
どうも、概ね缶詰め状態でカビの生えそうなアマポンです。

前回は昨今の
「しつけを逸脱した児童虐待」
について問題提起をしました。

それらの多くが『インターネット』と言う、我々の生活に根付きつつある道具に由来するものではないのか、と。

例によって私はその道のプロではないので、その定義等は厳密ではないけれど、ここではインターネットエクスプローラ等のブラウザを使って、情報溢れるウェブの世界へ飛び込める、そう言った環境がここ20年来の間に我々の暮らしの中に根付いてきたと言う前提の元に話をしようと思う。

少なくとも今こうしてこの記事を読んでくれている皆さんは上記に該当するわけで、そうして自由にウェブの世界へアクセスできる我々がいつも持っている危険性について、今回は触れていきたいなと。

ここまでで既に内容が読めてしまう方々も多数いるとは思いますが、時に諸々の問題は、明文化することで考える機会を与えてやるべきだと私は考えます。
可能なら最後までお付き合いをば。


●我々に望まれる「良識」の曖昧さ

いつだったか、ツイッターの中に、対応が悪かったメーカー広報に対して「こんな会社潰れてしまえ」的な発言があった。
たしか内容は、ゲームソフトの宣伝について、自分の持っている機種のつぶやきが無かったことに対してだったと思う。

果たしてこの発言者は、面と向かって同じ発言ができるのか?
顔を合わせるやいなや、
「おぅおぅ!おめぇ、こないだはよくも俺んちの●box様をないがしろにしてくれたなぁ!今ココで腹をかっさばいて責任をとりやがれぃ!」
…みたいな。

そう、現実世界には概ね、このような罵倒は存在しない。

ましてや、広報の些細な気遣い不足に対して、である。決して経営不振に陥った企業の経営陣に対する株主の発言ではない(笑)。

つまり、このテの発言そのものが、インターネットの普及と共に世へ浸透しているのだ。

他にも「死ねばいいのに」だの、「晒す」晒さないだの…。
インターネットが普及するまでは思いもよらなかった「罵倒・悪態の陳腐化」…キツい言葉が安っぽくなったってことね…がここ最近特に著しい。

ここまでの発言には恐らく皆さんが同意してもらえるはずだ、昔はここまでの言葉を話す場所なんてなかったなぁと。

ただきっと、こんな意見もあるはずだ。
「現実の世界で言わないんなら、それで良識をわきまえてるから問題ないじゃん」
てね。

しかし現実は我々の期待しない方向へとシフトしている。
仮に現実の世界で発言しないことを良識とするなら、その良識の天秤でさえ、じわじわと逆方向に傾きつつあるのが今この世の中なのだ。


●「リアルスタンダード」と「ウェブスタンダード」

ご存知の通り、昨今の「新聞・書籍離れ」は激しい。
そしてTV放送さえも。

答えは簡単で、そこから離れた人々の受け皿としてウェブの存在があるからだ。
決して外で運動する時間が増えたからでも、仕事が忙しいからでもない。

ただ、今まで新聞やTVに親しんできたおじいちゃんおばあちゃんが、急激にウェブ偏重の生活をとるようになったとは思えない。
つまり年齢が若くなるほどに、ウェブ重視のライフスタイルが浸透していると考えてよさそうだ。

見出しに書いた「●●スタンダード」は、私が勝手に作った呼び名だけど、これまで現実にあるものに学び、常識を形成してきた「リアルスタンダード」に対し、インターネットの世界で過ごす時間の割合が高くなってきた現代人の常識観は言わば「ウェブスタンダード」と表現できるのではないだろうか。

これらを踏まえた上で、おそらく我々が振りかざす「良識」とは、上記リアルスタンダードにおける常識のことではないかと思うのだ。


●人間は完璧ではない

「だからそれの何が危険なのよ!」ですって?

年齢を追って考えてみるとわかるよ。

相手に向かって笑顔で「死ねばいいのに」、と言ったとしよう。

お年寄りに言ったらどうなるか…下手をするとそのリクエストに応えられてしまうかもしれない(失礼)。

じゃあ50代の頑固親父みたいな人に…グーの鉄槌が振り下ろされるだろう。

40、30代になってくると反応はまちまちかな、苦笑い的な感じ。

20代ともなってくると即座に「お前もな」てな切り返しが、こちらも笑顔と共に返ってくるのではなかろうか。

…つまり、ウェブ発祥あるいはウェブで有名になった言葉が、リアル(現実)の世界での市民権を得つつあると言う事実がここに。

いや、もちろん20代だろうが10代だろうが「死ねば…」って言葉がアタマにくるって人は多いでしょう、TPO(時と場合による)です。あくまで例えですから。


でもね、ここで最初の「潰れてしまえ!」のくだりを思い出して。


あの発言をした人が何歳だかは知らないけれど、あんなのを10代のコたちが毎日毎日フツーに見れる…と言うか否応なしに見てしまう、それが現代社会、現代のライフスタイルなんですぞ?

「死ねばいいのに」が示してくれた通り、いつしかウェブスタンタードはリアルスタンダードに侵食していく可能性を常に秘めておるのです。


さあ!

これらをアタマに入れた状態で掲示板でもいい、ツイッターでもいい、ネットに転がる文字たちを眺めてみてくださいな。

ヤバい言葉はありませんか?

今はウェブの世界でたむろしているこの表現たちが、リアルの世界へ繰り出そうと舌を舐めずっているかもしれませんぜ?


しかしこれらの問題、なかなか対処が難しいではありませんか。

何か妙案はありませんかね?

出来る事なら皆さんの意見をコメントに頂けると次回に繋げやすいのですが…アレコレ反論されるのが苦手な方はいつもどおりメールなんかでも結構ですぞ、アメブロ登録してない方もツイッターでDMなんて手もあります。


では次回は、これらの問題がどのような形で児童虐待に影を落としているかを、今さらですが念を押して説明します。

それでは。