おはようございます。官兵衛。です。


小学生の頃、「希望」という言葉が好きだという友人がいました。


官兵衛。自身は「希望」という言葉はあまり好きではありません。

受動的で自ら何かを得るための行動をしないように思えるからです。


しかし、状況によっては「希望」しかないこともあり得ます。

ナチスがユダヤ人を収容したようなケースはこれにあたると思いますし

「希望=収容所を出たあと」を思い続けることで生き延びた方もいらっしゃいます。


「希望」という言葉はあまり好きではないのですが、ドラッカー教授の書かれている「奇跡」のくだりは大好きです。(結局「希望」も「奇跡」もいっしょかもしれませんが。)


「医者を長くやっていると、奇跡的な回復に立ち会うことがある

 不治の患者が突然治る。自然に治ることも、信仰によって治ることもある。

 奇妙な食餌療法や、昼間眠って夜起きることで治ることもある。

 このような奇跡をいっさい認めず、単に科学的でないとして片づけることは愚かである。

 それらは現実に起こっていることである。

 だからといって、それらの奇跡的な回復を医学書に載せ、医学生に講義するものはいない。

 それらのことは、再び行うことも、教えることも、学ぶこともできないからである

 しかも、それらの療法によって回復するものは少なく、多くは死ぬ。」


マネジメントの父、経営の大家と呼ばれるドラッカーが、奇跡を認めないのは愚かと書いているところが特に好きですね。


再現性はない。


だけど現実に起こっている。


だから、奇跡を信じる。


だから、祈ることしかできない状況では祈る。


それでいいんだと思う。