“ミシュラン巡礼”中の繰言 | 『今夜もおお腹いっぱい』

『今夜もおお腹いっぱい』

食べ歩き以外に堅い話も書くと思います。
来られた方はペタよろしく。

[初出:H20.1.07]

 既に11月、『ミシュラン東京』掲載店が発表されてからというもの、肉に群がるピラニアのように、ミシュラン星取店を会場とするオフ会が次々とmixi内でも開催され、σ(^o^)も数件参加頂きました。既に行っていた店もあれば、オフ会開催により初めて訪ねた店もあります。掲載店基準や採点基準に関する論議はさておき、お蔭で知らない店の多くを知り、また既に知る店の多くの「格を知る」ことができたのは僥倖でした(でもまだ本買ってないけど)。
 で発表前の来店も入れれば既に15店21星「食べた」ことになりそうで、春休みに入り次第行く予定の店がさらに10星ほどありますが、心から満足して「優」を出せる店が1軒しかありません。変わり物食材好みのσ(^o^)だからこその主観的判定としての「ミラヴィル」だけです。でもこの店に対するマイミク方の毀誉褒貶も多々耳にしています。あとランチでは充分満足したけどこの店にディナーで来ると!?と思うと「優」までは出せないのが、「キュイジーヌ[s] ミシェル・トロワグロ」と「鉄板焼 恵比寿」でしょうか。
 もちろん、食事段階で満足した店は多い。しかし、今後「通う」か?となると、金額と料理とのバランス、また接客や立地などを厳正に考慮すると、なかなか完き満足に達しません。
 それは部分的には、σ(^o^)の出自の問題かもしれません。「食は三代」という名句からも分かる通り、舌などの味覚分析機関は、音楽や芸術と同じく、幼少期から鍛えられるか、天賦の優れた舌を先天的に持たないと、大成できないものです。庶民の出で齢三十を過ぎてから食べ歩くようになったσ(^o^)などの舌では、高級店で使われる高級食材を「適正に」評価することは(生まれ直さない限り)もはや不可能なのかもしれません。そういうσ(^o^)には、微妙な産地の違いや運搬・保存方法の違いから格差を生み出される高級食材などは「豚に真珠」なのでしょう。
 高級食材に「適正に」感動できない (incapable of good appreciation) σ(^o^)だという前提で続けますと、味に刺激は無くても、料理に何らかの刺激がないと、σ(^o^)は高い評価を出せません。近いマイミクさん達にはオフ会のたびに言ってきたことですが、例えば三ッ星「小十」の場合、「三ッ星」という肩書が無ければ夜15000円は自分にはペイしない(だから「優」ではなく「良」だ)。それは、この店の個性が、料理からは感じられなかったからでした。もちろん良く出来ていましたが、「可」はあるけど不可は無い。祇園「阪川」で食べた時のような、数年たった今でも思い出すだけで脳裏に快感が走るような強烈な個性の主張、それが「小十」では感じられませんでした。もちろん良い店でしたよ、特に接客は。あれほどの胡蝶蘭を店入口に飾りながら、全然偉ぶる所のない店の人達には、昨今珍しいだけに「感動した!」 でも料理にも感動させてほしい。

 他に、「トゥール・ダルジャン」は価格が決定的なので年に一度でもコストパフォーマンス低すぎ、「ジョエル・ロブション」は宝くじでも当たらなければ、敬して近寄る価値は無い、云々。
 誰もが完全には納得できない「ミシュラン」の採点基準についてσ(^o^)の「目が開かれた」のは、新宿「トゥエンティワン」に行った時。もともと「ミシュラン2ッ星」という肩書以外に、この店を選ぶ動機は皆無でした。で直観したのです。「ミシュランの採点は、箱が左右する」と。
 昨夜の「チャイナ・ブルー」もそうでした。「ゴードン・ラムゼイ」の悪評は、既にホテル内部の方から密かに聞かされていたので、星が取れないことにも充分納得できましたが、中華の方は割合評判が良かったので、招宴オフに使ったのです。しかし、広東料理にしては味が濃い。昨夜は起きるのが遅くて濃い味を求めていたσ(^o^)には偶然ちょうど良かったのですが、同席者には悪評でした。聞いていてそれは充分理解できました。広東にしては味が濃過ぎます。こんな「濃い」料理を、祇園の広東名菜「竹香」で出したりしたら、即座に芸舞妓が寄り付かなくなり店はその週のうちに潰れることでしょう。では、この店がこの味つけで、なぜミシュラン1ッ星なの?と天井を仰ぎ見、窓の外を眺め、背後のワインセラーに視線をやった時、「トゥエンティワン」以来のσ(^o^)の仮説「ミシュランの採点は、箱が左右する」が脳裏に浮かびました。やはりこの仮説の通りなのです。もちろん、概して濃い味つけの方が白人は喜びます。「日本人審査員」といっても、ミシュランの目に叶って雇われた人々だから、味覚も白人に近いのでしょう。

 ミシュランにも当然長短あるし、日本でガイドが出版された意義を「黒船」という点から評価することにσ(^o^)は吝かではありません。とかく日本の料理業界は【学者の世界以上に】コネや血縁が罷り通って、腕のある料理人が「適正に評価」されてきたとは言い難いケースも多いと、よく聞かされるからです。しかし、あまりに「皿から離れた採点」だと素人に分かるような店選択を続けていたら、年月を経るごとに信憑性が落ちるのではないでしょうか? ガイド本の価格もあいまって、顧みられなく日もそう遠くないかもしれません。もちろん、そうなってほしくはないのですが。

 そんな繰言を書きながらも、完き満足を得られる店を求める探究の旅“ミシュラン巡礼”を、この春休みも続けることになるのは自家撞着ですね。もちろん、今まで以上に入念に、コストパフォーマンスを計算しながら、店と同伴者を選ぶとは思いますけど(笑)