「巻きモノ」に心を奪われすぎて、本を読んでいても、気になってしまう。

病膏肓(ヤマイこうこう)に入る、とは、このことか・・・

 

さきほど読み終わった、アンドレ・ジッドの『背徳者』。

 

主人公は、19世紀フランスの高等遊民、ミシェル。

これがまあ、手前勝手なオトコでさ~ (怒)

 

貞節な愛妻に結核をうつした挙句、あちこち旅行に連れまわして、健康を悪化させ、ついにチュニジアで死なせてしまう。

 

・・・って、まあ、大雑把に言うと、ミもフタもないお話。

 

とはいえ、小説の面白さは、ストーリーだけではないわけで。

 

このミシェル、信心深く、献身的な妻に感謝しながらも、その胸のうちでは、少年や青年たちの刺激的な、悪に染まった粗野な世界に、どうしようもない魅力を感じている。

 

『コリュドン』、『一粒の麦もし死なずば』で、自身の性的指向が「少年愛」にあることを告白したジッド。

『背徳者』もまた、私小説的な色合いに染まった中編小説だと言えましょう。

 

そんな作者の素顔をかいま見る面白さも、さりながら、若いころ一度読んだきりで、今回ふたたびページをめくるうち、とても新鮮で秀逸に思えたのは、北アフリカの情景描写であります。

 

地中海のぬけるような青空、空気は乾いて、地面は砂埃が舞う。でも河の流れるオアシスでは、木々は豊かで、まるで楽園のよう。

かと思うと、冬には風が吹き、あたり一帯は湿って、空はどんより。

 

異国の地、チュニジアで、ミシェルと妻のマルスリーヌが手放せないのは、「ショール」。

 

散歩のとちゅう、疲れたミシェルのからだをやさしく包んむのは、妻の愛と「ショール」。

 

オアシスの草地に寝転びたいときは、妻がすかさず「ショール」を広げる。

 

おそらく、この「ショール」は、19世紀、インドからもたらされた、ペイズリー柄のカシミアのショールだったのではないでしょうか?

 

フランス革命で、貴族がみんな外国に亡命し、つぎに栄えたのは、ブルジョワ階級。

 

当時のファッションの版画には、クリノリンスカートをはいたご婦人たちが、肩に大きなショールを三角形に折って、羽織っている姿が、しばしば登場いたします。

 

きっと、いまのような薄手のカシミアではなくて、分厚くて、重たい生地だったのでありましょう。

 

ミシェルは、散策のさい、ショールが重たいので、少年を荷物もちに雇って、散歩に同行させているくらいだから。

 

おなじく19世紀の作家、アルフォンス・ドーデの『風車小屋だより』の挿絵でも、プロヴァンスの女の人は、みんな例外なく、ショールを羽織っている。

 

南仏で、いちはやくインド綿のプリント生地が流行したことは、前に書いたとおり。

 

おそらく、温暖なこの地域では、贅沢なカシミアではなく、綿の大判スカーフが、装いの必需品だったのではないだろーか。

 

この時代、「ショール」は、もっぱら実用品で、オシャレを楽しむアクセサリーとしての役割は、二の次だったような。

 

いまのように、スカーフを結んで胸元を華やかに飾る、という使われ方よりも、三角形に折って、防寒のため肩を覆う、あるいは両端を上着の中に入れて、胸元の露出をふせぐ、という役割をになっていたようですな。

 

そこからドンドン進化した、スカーフやショール。

 

いまは、美しく、モダンで、楽しい柄がいっぱい、よりどりミドリ。

「リスちゃん」本能を発揮して、ついつい、集めたくなってしまうではないですかー!!

 

 

 

 

 

ドーデ『風車小屋だより』。1940年、ピアッツァ社刊行。A.E.マルティの挿絵。