あるべき到着時刻
当たり前の話だが、、、
電車に乗ってしまえば、
どんなに自分が急いだところで、
電車を追い抜いて、自分だけが
先に目的地に到達することなど
できない。
電車が走り出してしまえば、
その電車が到着する時間に、
この身も到着するまでである。
意味の無い焦りなど、
我先に目的地へなど辿り着けて
くれない。
走り出した以上、電車は
着くべき時間に着くまでである。
焦るな!自分!
次の目的地へは、必ず辿り着く!
そう思う今日この頃である。
見方変れば
唐突だが、
当たり前の話と言えば、
当たり前の話になるが、、、
自分が好きなことが、皆好きな
訳ではない!
ってことに改めて気付いた。
それまでは、
もう、これしかない。
これ以外にいったい何があろうか?!
と100%思い込んでいたことが
それを他の人に話してみると、案外
まったく逆の発想を持ってたりして
小生の思いこんでいることなど
もうオウト・オブ・眼中!
どうぞ、お好きにやって下さい位
えらく、あっさりしたもので(-“- )
あぁ『捨てる神あれば拾う神あり』※
とは、よく言ったもので・・・
この諺(コトワザ)を、敢て確率的な
表現で言い換えてみると
フィフティ・フィフティ(50:50)
となる訳で、、、
なるほど、思い込みは100%でも
実際の競争率は最大でも50%
なのかな・・・
と思った今日この頃である。
【捨てる神あれば拾う神あり】
人から見捨てられてしまうこともあれば
また一方で助けてくれる人もいるように
世の中は広くさまざまなことがある。
(※引用:故事ことわざ辞典 学研)
裸の王様
唐突だが、、、
会話には、肯定と否定があり、
話し手は、肯定的な受け応えを
期待して相手に語りかける場合や
その逆で、
止めて欲しい。
すなわち、否定的な受け応えを
期待して相手に語りかける場合
がある。
それを受け手は、
肯定と否定のどちらの受け応えを
することが今、
相手の望む受け応えなのか?!
あるいは、
相手の為になる受け応えなのか?!
判断して受け応えている。
前者は、
関係性を重んじて、そう答える。
後者もまた、関係性を重んじて、
そう答える。
大差ないような話にも聞こえるが
かなり違うような話にも聞こえる。
最終的に生き様なのか、それとも
好みの問題かは分らないが、、、
小生は、
相手の為になる受け応えをして
くれる人たちと関係性を持ちたい!
そう思う今日この頃である。