【ブログ:どうとくか】YES
1989年に『Noと言える日本』が
現東京都知事の石原慎太郎さんと
ソニー元会長の盛田昭夫さんとの
共同執筆によって書かれてヒット
して久しいが、、、
これがどこでどう曲解されたのか?!
今日では、自己防衛なのか、
後ろ向きなのか、賢いのか分らんが
ほんと、何かと意見を聞けば、
『No』とか『Noではないが・・・』
とか・・・
『基本的にNoではないが・・・』
とか、もうとにかくNoを接頭語に
つけないと不安なのかね?!
そう言う意味では、フェイスブック
にある「良いね!」のボタンは、
このNo,Noな風潮に何かポジティブな
風穴を開けてくれそうな、、、
そんな気がする今日この頃である。
現東京都知事の石原慎太郎さんと
ソニー元会長の盛田昭夫さんとの
共同執筆によって書かれてヒット
して久しいが、、、
これがどこでどう曲解されたのか?!
今日では、自己防衛なのか、
後ろ向きなのか、賢いのか分らんが
ほんと、何かと意見を聞けば、
『No』とか『Noではないが・・・』
とか・・・
『基本的にNoではないが・・・』
とか、もうとにかくNoを接頭語に
つけないと不安なのかね?!
そう言う意味では、フェイスブック
にある「良いね!」のボタンは、
このNo,Noな風潮に何かポジティブな
風穴を開けてくれそうな、、、
そんな気がする今日この頃である。
【ブログ:どうとくか】運任せ
唐突だが、、、
『どれにしようかな?!
天の神様の言う通り!』
と、
何かを決めかねているときに
一度は誰しもやったことがある
運任せの呪文?!だが・・・
改めて、数えてみると
ど・れ・に・し・よ・う・か・な
て・ん・の・か・み・さ・ま・の
い・う・と・お・り
の『21』個であった。
と言うことは、
ある2つのモノのうち、どちらか
一つを決めなければならない場合、
21の文字で数え始めたならば、
最初に数え始めたモノが選ばれる!
裏を返せば、この呪文は、直感を
後押しするツールとも言える。
すなわち
直感は、すでに選んでいる!
後は、その直感を真に活用できる
理論構築を磨かねば・・・
そう思う今日この頃である。
『どれにしようかな?!
天の神様の言う通り!』
と、
何かを決めかねているときに
一度は誰しもやったことがある
運任せの呪文?!だが・・・
改めて、数えてみると
ど・れ・に・し・よ・う・か・な
て・ん・の・か・み・さ・ま・の
い・う・と・お・り
の『21』個であった。
と言うことは、
ある2つのモノのうち、どちらか
一つを決めなければならない場合、
21の文字で数え始めたならば、
最初に数え始めたモノが選ばれる!
裏を返せば、この呪文は、直感を
後押しするツールとも言える。
すなわち
直感は、すでに選んでいる!
後は、その直感を真に活用できる
理論構築を磨かねば・・・
そう思う今日この頃である。
【ブログ:どうとくか】評論家
ふと思ったのだが、、、
例えば、
とかく周囲で声が大きいと言われる
人達を、ある場所に全員集めてみて
大きな声を出させてみたら、
どうなるだろうか?!
おそらく、大きな声だけでは、もう
誰も目立てなくなってしまうだろう。
仮に、そのような状況下で、
自身がその中で目立つことを
ミッション(使命)とされたなら、、、
一体、どのような行動をとることで、
自らをミッション達成させるだろうか?
小生が、まず真っ先に思いついたのが、
1)人よりもっと大きな声を出す。
で、その次に思いついたのが、
2)競うことをやめる。
⇒価値観のシフト(別の道を選ぶ)
3)競うことをやめる。
⇒無気力(思考停止)
であったが、もう少し考えてみると、、、
4)競うことをやめる。
⇒基準構築(僅差な違いを見分ける)
なる発想が湧いてきた。
むむむ、要は4)は評論家タイプね(-"-)
評論家タイプは、あまり好きではないが
やはり、
自らが目立つことを使命にされたなら
評論家と言う目立ち方も思いついて
しまうわな><
だけど、
仮に、これが声の音色が良いと思う
人たちの集まりだったなら、
一体、どのような展開になっていた
だろうか?!
おそらく、価値観が統一化できず
収集が着かなかったと思われる・・
で、
要は、ここで何が言いたいのか?!
と言うと、
スキルが僅差な人達を一同に集めて
しまうと、
そこで競争を嗾(ケシカ)けた場合、
それぞれのスキルが僅差であるが故
評論家が登場する土壌を生む。
これを採用に置き換えてみると、
個性ある採用は、収集が着かない
恐れがあるものの、、、
良い方に振れると、お互いを尊重し
協力し合う可能性がある。
一方で、無難に同一規格で集めて
しまえば、その差が僅差故、
それを判断しようとする評論家が
うまれ易くなる可能性もある。
そこで自らに問う!
評論家の多い場所は発展するのか?!
自戒の念もこめて、無難の先にも
どんなリスクがあるのか?!
しっかり見極めねばならぬ!
そう強く思う今日この頃である。
例えば、
とかく周囲で声が大きいと言われる
人達を、ある場所に全員集めてみて
大きな声を出させてみたら、
どうなるだろうか?!
おそらく、大きな声だけでは、もう
誰も目立てなくなってしまうだろう。
仮に、そのような状況下で、
自身がその中で目立つことを
ミッション(使命)とされたなら、、、
一体、どのような行動をとることで、
自らをミッション達成させるだろうか?
小生が、まず真っ先に思いついたのが、
1)人よりもっと大きな声を出す。
で、その次に思いついたのが、
2)競うことをやめる。
⇒価値観のシフト(別の道を選ぶ)
3)競うことをやめる。
⇒無気力(思考停止)
であったが、もう少し考えてみると、、、
4)競うことをやめる。
⇒基準構築(僅差な違いを見分ける)
なる発想が湧いてきた。
むむむ、要は4)は評論家タイプね(-"-)
評論家タイプは、あまり好きではないが
やはり、
自らが目立つことを使命にされたなら
評論家と言う目立ち方も思いついて
しまうわな><
だけど、
仮に、これが声の音色が良いと思う
人たちの集まりだったなら、
一体、どのような展開になっていた
だろうか?!
おそらく、価値観が統一化できず
収集が着かなかったと思われる・・
で、
要は、ここで何が言いたいのか?!
と言うと、
スキルが僅差な人達を一同に集めて
しまうと、
そこで競争を嗾(ケシカ)けた場合、
それぞれのスキルが僅差であるが故
評論家が登場する土壌を生む。
これを採用に置き換えてみると、
個性ある採用は、収集が着かない
恐れがあるものの、、、
良い方に振れると、お互いを尊重し
協力し合う可能性がある。
一方で、無難に同一規格で集めて
しまえば、その差が僅差故、
それを判断しようとする評論家が
うまれ易くなる可能性もある。
そこで自らに問う!
評論家の多い場所は発展するのか?!
自戒の念もこめて、無難の先にも
どんなリスクがあるのか?!
しっかり見極めねばならぬ!
そう強く思う今日この頃である。