文明が発達するにつれて、人間は、
自然界の中心であるかのような錯覚に
陥ってしまう。
つまり、人間中心主義的な発想に
陥(おちい)ってしまう。
それは、自然を克服する過程において
醸成(じょうせい)され、科学が自然を
凌駕(りょうが)できると勘違いした時点で
大成する。
この素晴らしきエゴイズムが引き起こす
悲劇は、自然環境を蝕(むしば)むばかり
でなく、人間の生活する社会環境すらも
破壊する。
社会環境の荒廃は、言語の中身に色濃く
反映される。言葉が荒れれば、社会が
荒れる。社会が荒れれば、道徳が病み、
自然が蔑(ないがし)ろにされる。
そんな輪廻(りんね)が繰り返された後、
最後に辿り着く先は、自ら、その償いを
受けなければならない顛末だ。
人間は循環する自然の一部。
これを忘れてしまい、ただ人間の欲望を
感じるままに謳歌(おうか)し続けるならば、
必ず、最後に大きな代償を自然から請求
される。
たまたま、、、
汗をかかずして、マネーゲームに興じた
あるベンチャー企業の人たちの事の顛末を
聞く機会があり、その話しを聞きながら、
ふと、、、
「成功に近道なし!」
自戒の念をこめて、そう強く思った。
また、、、
そう思ったのと同時に、何故かこの歌↓が
頭の中でリピートし続けた。
『手のひらを太陽に』
(【作詞】やなせたかし【作曲】いずみたく)
1.ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れるぼくの血潮(ちしお)
みみずだって おけらだって
あめんぼだって
みんなみんな生きているんだ
友だちなんだ
2.ぼくらはみんな生きている
生きているから笑うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているからうれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れるぼくの血潮(ちしお)
とんぼだって かえるだって
みつばちだって
みんなみんな生きているんだ
友だちなんだ
(参考:JASRAC)