テレビの観方
に映し出される「事実」には、どこまで
「うそ」が許されるのか。』※1
そんな記事が目に付いた。
なになに、、、
『やらせは、90年代以降、特にドキュメンタリー
で問題化。やらせの基準作りを求める声を受け、
NHKと民放連による番組倫理委員会は93年に
心構えを説く逓減をまとめたが、具体例に即して
の基準は示されなかった。事実の再現方法に
ついては「一つの表現としてあり得る」とした上
で「社会的常識の範囲内で行う」とだけ記した。』
※2
ふ~ん。。。
演出の判断基準は、まだ曖昧なんだ。
なるほど・・・
ちなみに、、、
この記事は、何人もの人がコメントしていて、
中でも同感する意見だったのが、放送プロデューサー
のデーブ・スペクターさんの話で、、、
『「視聴者がカラクリを知ったら怒るかどうか」が
一つのボーダーラインだと考える』※3判断基準だ。
もちろん、この判断基準だけで「演出」の全ての
問題を解決することは困難であり、その最たる
理由として挙げられるのが、、、
『ニュース番組やドキュメンタリーと情報・
娯楽番組の境が近年なくなってきたことも、
問題を複雑にしている。』※4ことだ。
他にも、色々な人が色々と書いてあったけど、
なるほどな~と一番思わされた話が、、、
水越伸・東大大学院情報学環助教授の話で、
『日本では放送の送り手と受け手が余りに
お互いを知らない。カナダやオーストリアなど
では、自ら番組を制作しながら映像や放送局の
仕組みについて学ぶメディアリテラシー学習が
学校教育や市民運動に取り込まれている』※5
この話しを読んで、、、、
このメディアリテラシー学習は、21世紀に
おける重要な義務教育の一つになる!
そう確信した。
だってさ、、、
これだけ情報が溢れている時代、その情報を
どう処理するか、どう利用するか?!
その中でも、どのようにしてテレビを観るか?
すなわち、『テレビの観方』を教えることは
とても重要なテーマだ。
これからは、
一部の人がその仕組みを知っていて、世の中を
扇動する時代から、人類はもう少しだけ進化して、
その便利な道具を共有する時が来たのだろう。
そんなことを予感させる素晴らしい話だった◎
なんだか、自分には身分不相応なテーマだけど、
メディアリテラシー学習については、一つのヒント
として、頭の中にメモしておこう!