書くスピードが異常に遅い自分です。
今は背景描いてるのですが、とても難しい。
少し練習しないとダメですね。例えば物を増やすとかしないと建物的に成り立たないので電柱を増やすとか工夫がいりそうです。頑張ります。
色薄いですねww ちょっと濃くしましたがw
昔からなのだが天才という言葉は本当に天災しか起きないという自分なりの解釈がある。
嫉妬に聞こえればそうなのかもしれないが、一旦発明をすれば多額の資金を手に入れ、他所では勝ち組・アンチが沸くという言葉が増え一瞬だが世界を握ったような感覚に陥るのだろう。
私も昔はあるゲームで一瞬TOP30入りしたこともあるし、小学校の絵画展で入賞したこともある。3000円分の図書カードには全くの興味すら起こさなかったが当時の私は異性からもちょっと(笑)褒められててりして・・・一瞬楽しかった時間がある。いわば地方的な限定された世界の中で喜ぶのはごく自然なことでもあるのだ。評価されるというのは至福に満たされる条件のうちの1つであろう。
そう、勘違いが自分の中で起こってしまうのだ。道徳なき正義というのもその1つであり、いわばローカル(地方的)であるが故の罠である。いくら極地の人たちは他所を気遣う必要なない。いわば殺らなければならないという自分の中で言い聞かす事でその正義を可能としているのだろう。それが金銭・地位・名誉ということが報酬であるなら全ての事象は捻じ曲げるように歪曲し、歴史が伝わっていく様は世界の偏向報道を見れば一目同然であり、またそれで世界も成り立っているのであろう。さながら自分の国をポリシーを作り上げるがのごとく歴史は作られていったのではないだろうか。
実は私自身子供の方が賢く、また時代を読み切っているのであろうとする推測が昔からあった。そういえば自分は子供の時に・・・という自慢ではなく大人という存在はどこに価値を見出すかによる。
いわば子供が大人に価値を見出すからこそ大人の時にその夢を見出すことができるようになるのである。
例えば、子供の礼儀や行動はすべて大人によって学ばれる。大人のマナーを実際に視認し、確認する。
その上で行動を起こしたら成功するという手順を覚えているのだ。つまり、「子供の時にそれを悪用すればすべてが手に入るということ」の裏返しである。
そうでなければ、親は必死に子どもの教育において優秀な存在を出そうとしないのだ。面白いことにその発想は昔はローカルであり、当たり前ではなかったが今はグローバルな社会においてそれを拒もうとできない。子供がアイドルになれば金儲けができることをしってそれを唯一の行動目標に偏向すればその子供は金が稼げる子供に早変わりである。もちろんその当時の子供はそのお金をなんとも思わないのであろう。お金が余ったら資金を投資するという行動も全て大人の行動であり、大人はさらに評価する。いわば、分からずしも自分の行動基準に真似されている鏡を評価するというナルシストという言葉に違いない。
それはゲームにおいても可能になってしまった。
大人はゲームを娯楽という認識しかなく、楽しければいいという思考しか会社に教わっておらず、思考が停止している人も多いのであろう。確かにあんなには私には働けないし、それは素晴らしいことである。
(このこと自体が子供の時に学んでしまった事ゆえに起こっているものなのは批判するべきではあるが。
働くこと自体が義務ではあるが、それを他方の面に捉えて批評するというのは言論の自由である。故にブログは存在しうる。)
それ自体を子供は行動に起こせる自由時間があり、それを読み解いたものが天才と言われるシステムを作ってしまったのである。大人と同じような行動を起こせば、資金に困らない存在を簡単に作り上げられるようになってしまった。
さらに言えば、ゲームにおいての快楽物質に近い楽しさは映像の綺麗さではない。
それならば昔のゲーム自体が全て面白みがないものとして存在が成り立ってしまうのである。ならば、映像の進化を起こした天才がそれをその当時の子供においてそれが正義だと植えつけられてしまったことの弊害である。子供の変化は環境に応じて変化するがその天変地異が子供に植えつけられたことでこの様な変化が起こってしまうのだ。
そう来れば子供は次に世界の成り行きを考えるのも多くなるであろう。例えばグローバルを廃止した何かを提唱する社会が今更評価されて行くかもしれないしアンチテーゼを長かけたゲームも増えるだろう。大人が必死こいて作ったものを子供は普通に1人で作り上げる。しかし、その子供が大人になればその思想がまた子供に壊される。大人になる事を認めたという事はこの中で壊される役を演じ切らななければならない皮肉なものなのである。面白い内容は全て子供が利用し社会を作る。
今の世界の価値観を踏まえるのなら今の大人は行動するための道具にしか成りえないのである。昔の言葉を言い換えた「働く事になれたら負け」という言葉が今後は言うようになるのであろうか。全く今の社会には企業者以外思考が停止しているという言葉を子供に煽られたように言われるようになるのかもしれない。