最近気になった内容。
バブル時代のニートは今新聞になるほどの問題視ではなかった?のに対して今はこんなにも大きな問題だとつぶやかれていることである。確かに人数・不景気。この点を含めるとどうも昔の方がそんなに問題にはならなかったのかもしれないのだが、若干の違和感がそこにはあった。
なぜならば、ニートの数は実質経済が滞った時期の人たちを含んでいるという事。
内閣府の発表による人数は1992年から2002年にかけて非希望の人たちの人数が全くと言っていいほど増えてはいないこと。さらにその中に失業者を多く含んでいたともある。
故に計算しなくても本当の意味でのニートの絶対数は激増はしていないのだ。
さらに言えば政府自体が騙しているということに変わりがないような表現になってくる。
これをさらに人数で見てみると実は15歳位から24歳のニートの数は減ってきているのに対し24から35歳の人数は大きくなっていた。いわば親が働けなくなる年齢の場合には働いているということになる。
(さらにニートの数自体の数え方が日本はとても振れ幅が大きいのである。ほかの国ではそんなに振れ幅は大きくない。ニート定義のイギリスでは15から18歳。この18から34歳という人数の多くにニートという烙印を押されているということになる。これでは増えているという実質の数値もわかりづらい。それなら15歳から24歳のニートの人数は減っているのだから(2002年から2005年の人数は減っていた)それはそれで美のはずである。70万人突破したと大騒ぎになっているのは最近のことだが、この時点で人数は68万人程度。特に2002年にいきなり人数が伸びているということは何らかの形でニート問題が浮き彫りになっているということである。そんなに1年で増えるはずはないのだが・・・。いずれここの部分は編集しようと思う。)
・・・・・・とまぁ硬い口調を戻して本題に入ると、不景気になぜニートがこんなにも敵視されているかということです。殆どは親のせいとか甘やかせ過ぎとかいう意見が多くありました。確かにそう言う面も多いのですが、その話は一体どこから出てきたものなのか?それが全くと言っていいほど追求されることはありませんでした。いわば問題解決の原因を遠いところに回している感じが否めないのです。
まずデフレは今のニートたちにとって都合がいいという事。
なぜかといえば不景気自体、経済の規模が縮小しているだけなので今親になっている人たちには全く問題が無いという事。(多くの大人は今40代から50代ですのでもう十分な場所にいる為正社員や契約社員等普通に働ける問題をクリアしているということでしょう)。
さらに給料は減っても物価も下がるのでトントンでニート・・・いわば働くことがなくても生きることが出来る人が多く存在できるためということがあるのです。つまりギリギリの世代だということ。バブルで弾ける前にいるのですからある程度の社会的状況を積んでいます。さらに30代の就職氷河期の人には子ども手当というある意味助かる?モノもあるのですから一応はセーフですし、まだ学生のはずです。
さてここからですが、ニートが増える・・・いわばこれから数十年先で苦しいのは今20代の人たちということです。不景気で問題視されているのはニートのはずなのにそのニートはその数十年先デフレが続けば確実にホームレスになる可能性があります。不謹慎で尚且つ間違っていると思うのですが、今労働対価が悪いという場所で働いている人たちが次に親の面倒を見ていくとなると・・・。どうしても資金面が足りません。見殺しにしろという程お金が足りないのです。かと言ってインフレが起きれば、物価から給料面が上がったとしても他の面で追いつかなくてこの場合も無理です。いわば、バブル景気で生きた人間が結局は一番楽という考え方になります。どういうことかは前述の通りと、お金の使い方を普通にしていれば、貯金として貯めることができるからです。これで今の子供たちはと言われても信憑性がありません。就職氷河期を送っている人たちにはいささか甘えているように見えるかもしれませんがその時は不況という言い訳?が有り、さらにその人たちは97年のバブルがはじけた時に大学就職ならもう30代後半です。ニートと言える年齢ではありません。ギリギリか、又は無職として考えられるのでしょう。
しかし、今はもうひとつ比較対象が多く含まれました。ネットのグローバル化の弊害によって生活保護の方が資金が入るという情報・ニート問題とマスコミの偏向報道による操作です。
ここからニートというものが急増してしまう原因になってしまいました。
なぜかといえばマスコミは偏向報道という言葉を多様化してネットで使っているようですがその言葉の多くは殆どがマスコミの発祥であると気づいてはいないのです。
例えば働かなければ負けという言葉がどこで最初に使われたか知っていますか?地域で使われるようになったのではなく、そのマスコミが最初に報道し世間が注目するようになったのではないのですか?
情報なんて発信者がいる時点で公平なものではないはずです。いわばそこで起こっていることに対して他の念が入るのですから当然偏向な内容が多く含まれるに決まっています。それに最近気づいていること自体が問題なのです。いわば社会的にグローバルになって情報を見て気づいている以上、昔のように他者に流されているという事実に変わりはないのですから、もしニートが害悪だと言われればそれは害悪だという言葉にまみれるのかもしれません。
このように情報によって流されるということがマスコミや報道団体にわかってしまった以上それに近い内容、又は誘導尋問を繰り返した結果がこの働かないという言葉を定着してしまった若者を生み出してしまったと言えるのです。つまり、働く意義自体が教育自体で偏向的に教えきれていないという状況。また働く許容面で資金が動かなくなってしまった点にあるのではないかと思います。
例えば、国の借金が増えたから税を増やそうという言葉が出ています。
しかし誰も自分の給料を差し引いてまで止めようとする議員はいません。というかそんな事を報道すらしていません。例えば報道系の給料を見て、高いと思ってもそれを高いと報道系の人たちは言わないでしょう。そう自己犠牲というものが今の社会において無くなってしまったのです。
他の国に金を流すことはこの1つではありません。それは間違ったものなのですからそれを正すことが必要なのです。自己犠牲はそう言う意味ではなく、他者を色々な面で気遣うということがこの社会で薄れたことがニートを輩出しているということを誰も考えてはいません。親は甘やかしているのではなく、気づいて欲しくて自己犠牲を繰り返しているのです。これを甘えと言ったらその家族を暴力的に潰しているとしか思えません。こんなことだから政府は全くニートに対しての対処を行えないのです。何故ならその親のように自己犠牲を行うことができないから。言えば、自分の時間を犠牲にしてという言葉もわからないのではないでしょうか。
ニートはなぜ問題視されるのかといえば、そう言えば人は動くからなのです。
人がどのような場所においても成りうるものに対して、それを見れば自分の地位が上であると保証できる話題性が欲しかったのです。昔公務員が一部の人から負け組と言われた腹いせのように。
人は働くことが義務化されていますが、全ての人が働けるのでしょうか。子供は遊ぶことが義務のようなものですが、本当に遊ぶだけで過ごしているのでしょうか。赤ん坊は泣くことが義務だと言いますが、その本質を全員が理解できるのでしょうか。それは絶対に理解できない壁があります。いわばほかの情報によって導かれた答えを言うしかないのです。それはネットでも1つの偏向報道にしかなりえません。もちろん正しいとかそういうことの相違はありますが。
今回言いたいことをまとめていないのでグダグダですが、一度数十万人のニートデモが起きると予想します。それは今から数十年後。いわば1世代が終わる時かもしれません。