卒業旅行体験記 フロリダ編 一日目
卒業旅行として初めての海外旅行でアメリカへ行った時のことです。フロリダへ3日とカリフォルニアへ3日の合計6日間の旅行でした。友人二人と行き、楽しかったことや怖かったことを思い出して綴ってみます。
【一日目】
私達二人が、フロリダのオーランドへ到着した時は深夜のため空港に泊まりました。泊まったといっても空港内のホテルではありません。ロビーで寝ました。
友人は、寝袋持参。私は、銀色の携帯毛布でした。
この携帯毛布は、NASA公認のロゴに惹かれて購入してしまいましたが、
寝袋にすればよかったですね。寒かったです。空港の中は、空調が効いてました。
時差ぼけと、恐いという緊張感から全く寝れず夜が明けて、
夜明けとともにレンタカーのコーナーへ行き車を借りることにしました。
鍵を受け取り、車へ行くも駐車場は真っ暗で鍵をどこに挿すかわからず。
しかも、左ハンドルのため位置間隔もなく困りました。
「ちょっと電気点けようよ。電気!電気!」
二人して天井を手探りで探してました。長時間の椅子に座っていた疲れと寝不足と、日本語がない見知らぬ世界に初めて足を踏んだ不安で二人とも動揺していたのだろうと思います。
仕方なく、係員を呼んでキーを挿してもらいましたが、彼は不安そうでした。
"Are you guys ok?"
"Fine. Thank you."
全く説得力無く、彼は不安そうに首をかしげて戻っていきました。
二人の旅がこうして始まりました。
母の愛とは その2
初夏の頃、祖母が亡くなった。享年92歳。母方の祖母で小学生の時には毎年、夏休みに遊びに行った。母が、病気で入院したときは、田舎から出てきて私たち兄妹に食事を作ってくれた。当時、中学生だった私は煮物や角ばった野菜の炒め物を食べにくくて、少し食べて残していた。
祖母は、『食べなしぇえ。育ち盛りでしょ。いやややや。口に合わねえだか。』
当時の私は、祖母の料理をフライパンの中も全部食べれなかったことが残念でごめんなさいと心の中で謝っていた。告別式で、長男の叔父が祖母のエピソードを語りだした。
太平洋戦争の末期、小学校1年生の長男と次男、長女の3人で遊んでいたある日。雲が近い澄み切った空に空襲警報が鳴った。
長男は、慌てて2人の弟と妹を引っ張って防空壕へ連れて行った。どのくらいの時間が経っただろう?妹が、不安から泣きそうになりながら我慢して震えている。
「お兄ちゃん?いつおうちに帰れるの?お腹が空いたよ。」
グラマンの飛ぶ音が、遠くからだんだん近づいてくる。
「もう少しだから。ここでじっとしてるんだ。」
「恐いよお。お腹が空いたよお。」
元気付けようとしている自分自身もだんだん不安になり泣き出しそうになっていたとき、母がお鍋を持って走ってきた。そのお鍋には、とうもろこしをすり潰してかぼちゃを入れて煮た料理だった。警報が鳴り響き、グラマンが近づいて機銃が『パパパパン』と母を追っていた。母は、そのお鍋を子供たちに食べさせたかったのでしょうか。警報が終わった後で、お鍋は家に置いて迎えに来ればいいのに、危険な中をお鍋を持って迎えに来てくれたんです。よっぽど食べさせたかったのでしょう。
お通夜と告別式でたくさんのお料理が出た。食べきれずに残す私に、祖母の声が聞こえてくるようだった。『食べなしぇっ』と。あれから10年以上経ち私は、まだ結婚もせず孫を見せられないままお別れをすることになり残念だが、子供を大切に思う祖母の気持ちを大切にしていきたい。
ハンド ~義経の財宝~ 第三話
「違います!私は、ただあの土地を護りたいだけなんです。」
「だったら黙って放っておけばいいじゃん。永久会員でセキュリティ万全だし。」
「あんた、そんな酷いこと言わないでもいいんじゃない?優子さんはねえ。」
「やめて、潮崎さん。私がいけないんです。私がもっと。」
「ごめん。ちょっと意地悪だった。君は、豪邸で一人暮しだったよね。ご家族は、君を残して亡くなってるか、家を出ていった。その土地に原因で。土地を売ろうとしたことは確かだろ?」
「はい。でも、私は反対したんです。ある日、考古学者だと言う方が来たんです。その方は、義経公の研究をされているようで、うちの敷地に義経公の隠した軍資金が埋まってるかもしれないから調査をしたいと言うんです。私は、お断りしたのですが、兄のお嫁さんが呼んだ方らしくて、兄に酷く怒られた後、暫くしてから私と両親は別荘へ移されました。家は壊され調査が始まって3日経ち兄と連絡しても、全く連絡が取れなくなってしまったんです。」
