朝の挨拶を交わし合っているかのような鳥達の声
 
静かに、ただ静かに昇りゆく太陽の光に包まれて
世界は今日も朝を迎えた
 
たとえ今、僕が消えていなくなっても、変わらず世界に明日は訪れる
こんなに綺麗な朝を見せてくれる…
 
歩きながら見上げたあの空は
橋の下を流れるあの水は
電車に揺られながら眺めたあの緑は
僕達が豊かな生活を求める姿を嘲笑いながら、堂々と自分の姿を表現しながら生きていけと教えてくれているかのようだった…
 
 
僕がいなくても
世界に明日は来る
だからこそこの世界で
今日も生きてやる
 
 
2010/09/13 07:05
中国で『最も好きな作家』の五本指に数えられる作家がいる。
 
『謝冰心(しゃひょうしん)』という女性作家だ。
近代中国初の女性作家にして児童文学の開拓者。
 
日本軍に身も心も傷つけられ、国内でも裏切り合いが起こり、幾多の命を失った。世界で最も多くの人が暮らす国にも関わらず孤独を強いられてきた中国…
そんな、多くの痛みに溢れた20世紀の中国で、子どもたちの幸福を願い、ひたむきに『愛の心』を伝え続けた作家。
1999年に亡くなられた謝冰心。99年という一世紀を生きた偉大な方だ。
 
1966年から10年続いた中国の文化大革命。中日戦争に続く厳しい苦難の時期に、謝冰心は70歳を過ぎていた。
中国の未来のため、子ども達の笑顔のためにと、ペンを武器に戦い続けられてきたにも関わらず、権力にとり浸かれた同じ国の人間に迫害を受けた
 
真夏の太陽が照り付ける中、群集のど真ん中に立たされ批判を浴び、地方の農村に送り込まれ強制労働をさせられた。
 
 
『田畑を耕していると、真昼の太陽に照り付けられ、汗が土に滴り落ちる。誰が知っているだろうか。食事の際に椀に盛られた飯の一粒一粒に農民の労苦が込められていることを。』
 
 
謝冰心はそんな苦しい時でも、古くからある中国のこの詩に感動し、最後に書かれていた一節
『粒々皆辛苦(りゅうりゅうかいしんく)』
が身に染みたと語られた。
生きることをあきらめなかった。
 
1980年、80歳になられた謝冰心は、脳血栓で倒れられ、右半身の動きが不自由になった。
作家として致命傷となる病。
けれど彼女は、80歳にして不自由な手で字を書く練習をして、ある一文を書き残された。
 
 
人生は80歳から始まる
 
 
文化大革命は終結し、中国が新しい道へと歩み始めた1980年。
謝冰心は「自分は、もっともっと力があります。もっともっと話をしなければいけません。もっともっとすることがあります。私は80歳になりましたが、生命は、あなたたちと同じように若いのです」との想いで、戦うことを貫いた。
 
冰心という名前には
『氷のように澄んで、汚れなき心』という意味がある。
この名前の通りに生き抜かれた彼女の生き様は、今でも多くの人の背中を押し続けている。