今から書く話は
あまり明るい話ではないので
もしそういうのが読める気分ではない方は
飛ばしてくださいね。
今週は
近しい人に事件があって
それを自分なり消化するのに少し時間がかかっているところです。
結構仲良くしているお友達の弟が
最近自殺してしまいました。
とても家族仲も良く、
私もしょっちゅう3兄弟に会っていたし、
その中でも
穏やかで末っ子ぽさをまとった弟は
飄々と生きているように見えて
辛い気持ちも悩んでいるのかさえも誰にも伝えることなく
亡くなる直前まで笑いしゃべり、
でも一人になったところで
この世から旅立つことを選んで行ってしまいました。
いつかは死が訪れるとは言え
今回の出来事は青天の霹靂というか
なんで?を繰り返していましたが
友達が話していたことが心に残りました
” 弟(20代)はまだ何にも経験していない。
これから辛いことがあっても解決策を自分で見つけ
なんとかできることも、
心地良く生きて行く方法も何も探ることをしていないのに
行っちゃうなんてずるい”
その言葉が心に触れて・・・
生き続けていたら
もしかしたらなんとかなったんじゃないのか?
だから生きていて欲しかったな
これは残された人たちのエゴなのかもしれないし
弟は絶望の中にいたのかもしれないし
今となっては何にも分からないんだけど
なんとかなったんじゃないのか?
その疑問が頭から離れませんでした。
心は見えないから
本人以外は・・・
もしかしたら本人さえも
今、どんな気持ちなのか分からない時もあるような気もする。
昨日心理学の研修者、Brene博士の講演を見ていたら
感情や気持ちにつける言葉にはちゃんとした定義はないようで
文化や言葉が違うと同じ意味を示さない時もあるそうです。
博士が説明していた脳科学者の研究で
人の経験とは
自分がどう感じているか(体の反応や感覚)と
それをどのように言語化してどう呼んでいるかで
表されるそうです。
なので同じ悲しいでも
私の表現する悲しいと
あなたの表現する悲しいでは
全く違うのだそうです。
だからこそ
人に(出来れば専門家に)話をすることは大切で
聴く側の人は自分の中で決めつけず
それはどういうことなのかを
尋ねることがとても大切なんだと改めて思いました。
正直、こういう明るくない話を書くのはどうなんだろうかとも思いましたが
メンタルヘルス関連(ヨガ)の仕事をしている以上
このまま知らない顔でいるのもなんか変な感じもあり
読みたい人が選択して読んでもらえるブログに書いてみました。
これを書きながら最近ご無沙汰のお友達に
どうしているのか連絡してみようかと思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。