アリゾナへの出発 (その2)
午後のフライトだったと思う。
ギターは預けずに、手持ちの荷物として機内に持ち込んだ。その他には、小さなバッグ。
送りにきてくれたみんなに、
「じゃ、ちょっと行ってくるから。」と挨拶をして、『搭乗口』の表示があるエスカレータに向かった。
このエスカレータから向こうが、飛行機に搭乗する人しか行けない範囲になっていた。
エスカレータを降り、ゲートまでの通路を歩いた。ふと上を見上げると、見送りに来てくれた人たちがガラス越しに手を振ってくれているのが見えた。
私も、歩きながらみんなに手を振った。気が強く、普段はまったく泣かない母親が、目に涙をためているように見えた。
父親の姿が見えなかった。後日、その当時の彼女のから聞いた話では、父親は目に涙をためて離れた場所にいたそうだ。
飛行機はシンガポールエアラインだった。
飛行機に乗ってから読んでほしいと渡された彼女からの手紙を読んだ。
付き合い始めた時から留学は決まっていたので、覚悟はしていたけど悲しいということ。
大好きだということ。
待っていてくれるということ。
目標に向かって進んでいる、私(AZ)は素敵だったということ。
私(AZ)なら必ず成功するだろうということ。
その手紙には、そのようなことが書いてあった。
自然に涙があふれてきた。隣には、黒人の女性が座っていたのだが、その女性や、スチュワーデスに泣いているのを見られるのが恥ずかしくて、ずーっと下を向いていた。
飛行機に乗って、その手紙を読んではじめて自分が、かなりの覚悟を持って渡米しようとしていることに気付いた。
高校を中退してまで留学を決めたのだから、次に一時的にでも日本に帰るのは、ちゃんと生活が軌道に乗ってからになることを覚悟していたのだ。
ということは、次に彼女に会えるのは... と思ったら、彼女に感謝するとともに涙が止まらなくなっていた。
実際に、この日から次に日本に帰ったのは、2年後のことになっていた。