日本の高校2年生、秋 | アメリカ留学記 ~アリゾナ州立大学へ~

日本の高校2年生、秋

「日本の高校は2年生が終わったら、もう行かないんだ...」と思った瞬間に、日本での高校生活を送ることに緊張感がなくなり、学校を休んで悪友と遊びふけったりしていた。


特に土曜日に学校を休むことが多くなり、土曜日に2時間もあった化学の出席日数が足りなくなり、単位を落とすかもしれない危険性が出てきてしまった。

はっきり言ってこの時期は、かなり不安定な時期だったと思う。


この時期に、学校は違うが、同級生の彼女ができた。A子という彼女ができた。
彼女は、私(AZ)が高校2年が終わったら留学することを、付き合うはじめから知っていた。


それでも、何とか単位は取れて、試験も何とか合格点を取れて、無事、2年生は終了することができた。

日本の高校2年生を終えるのにこんなにだらけていたので、留学に対する反対意見が続出するようになってしまった。

でも、もう高校には退学届けを出しているし、業者Aとも話を進めているので、後戻りはできなかった。


こんな不良学生をやっていても、まったく準備をしていなかった訳ではない。
少しでも、英語を上達させるために神田外語学院に通った...

が、3回ぐらいしか行かなかったと思う。授業料をドブに捨てるようなものっていうのは、まさしくこのことだった。トホホ。


小林克也のラジオはよく聞いた。アメリカの音楽と絡めながらの英語の番組はとても面白かった。もちろん、それほど英語が聞き取れる訳ではなかったが、それなりに為になったと思う。


●英検についてついての回想
自慢ではないが、私(AZ)は中学3年生の時に、英検3級に落ちている。
周りの人たちはみんな受かっていたのに、AZだけ落ちた...
これに関しては「思い当たるふし」を、今でも思えている。
スピーキングかリスニングで試験管から質問をされたときに、「Yes」とか「No」とかしか答えなかったのだ。
多分、回答は正しかったと思う。ただ、Yes, it is.とかNo, I don't.とか、後ろになにかしら付ければ合格していたと思う...(多分)

実は、英検3級に落ちたことは、かなりのトラウマになっていて、いつかはリベンジをという気持ちをいつも持っていた。

留学から帰って来たとき、社会人に成りたてのときに英検を受けた。3級はもちろんのこと、2級も、準1級も全部飛ばして、1級を受けた。
1次試験は1回で合格した。ところが...

2次試験は2回落ちた... はい、ショックでした。8年近く留学して、英検1級が取れないのです。
「俺の8年はなんだったんだ~っ」と夕日に向かって涙しながら叫びたい気分でした。

1回目は解答する問題を間違え、2回目は解答を解答用紙に書く場所を間違えた。

確か、英検1級の二次試験は、パート1とパート2に分かれていて、パート1は3つの問題から2つを選択して解答し、パート2は2問とも解答する、みたいな形式だったと思う。


1回目は、パート1で3つの問題を全部解答したら、パート2を完成させる時間がなくなり落ちた。
2回目は、パート1とパート2の解答記述場所を間違えて落ちた...

かなり沈みました。

でも、何とか、3回目を受検して、合格しました... 

「何事もすんなりいかない」これがAZの人生を象徴しています。