厨二盛りに会いたかった本 | 気まぐれぱ~ぷるのうふふ

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柳田國男

 

「遠野物語」ってのは知ってました。

岩手県遠野を河童の街にのし上げた本w本

やなぎたくにお、タ、なんですよねえ。

そんなことも近年まで知りませんでした。

 

兵庫の福崎町に行ってから、龍節分

柳田国男をちゃんと読みたい、と思うようになりまして。

ちくま日本文学の上記の書を読みました。

(どうせ読むなら「遠野物語」以外も読みたくて)

 

するとこれが、現在にも通じる感想がゴマンと出てくる。

最近は世知辛い、とか泣かなくなった、とか。

人の「嘘」についての世間の対応が厳しすぎる、とか。

昔の風習を学ぼうと思って、現在との共通項を見つけると

ああ、時代は回るんだなあとしみじみしたり。

 

でも、一番グッと来たのは言葉の定義の話。

人が泣く時、「泣く」や「哭く」を使いますが、

その漢字がその心情を本当に表しているのか、

意味が違ってきてしまっているのではないのか、

そういったことが(多分)書かれていて、めっちゃワクワクしました。

 

この本に中高生の時に出会っていたら、

自分は間違いなく迷わず国文学部に行っていただろうに…

そう思わずにはいられない素敵な本でした。