君の膵臓を食べたい「キミスイ」

映画→小説→映画→マンガ→小説→映画

つまり映画は3回見て、小説2回、マンガ1回

そしてオフィシャル本までも買いました。

ドはまりしています。

(以下ネタバレがありますので見たくない人はスルーしてください。)

 

「タイムマシンがあったら、いつの時代に戻りたい?」

その一つに、2型糖尿病を発症する前の馬鹿な生活習慣時代と答えていた自分。

(ほかにもあります)

今回新たに増えたタイミングの一つが、中学時代の自分にこの

君の膵臓を食べたいの本を渡したい。

コミュニケーション障害や発達障害なんて言葉もない10代のころ、

一人でいることが好きな自分を

周りの大人が理解できない時代に生きていた、クソ中学生だった自分に。

この本を、とくに以下のページに蛍光ペンとしおりを挟んで。

 

 

ーーー映画のワンシーンーーー

体調を崩し入院中の 桜良(余命1年未満)にした質問

「君にとって、生きるというのは、どういうこと?」

桜良の答えは

「生きるってのはね」

「きっと誰かと心を通わせること、

 そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」

「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、

 誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、

 誰かと手をつなぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う

 それが生きる。

 自分たった一人じゃ、自分がいるってわからない。

 誰かを好きなのに誰かを嫌いな私

 誰かと一緒にいて楽しいのに

 誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、

 そう人と私の関係が、他の人じゃない、

 私が生きてるってことだと思う。

 私の心があるのは、皆がいるから、

 私の身体があるのは、触ってくれるから、

 そうして形成された私は、今、生きてる。

 まだここに生きてる。

 だから人が生きてることに意味があるんだよ。

 自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに。」

 

---現在の自分ーーー

中学生どころか、大人になった中年でも、できるだけ人を避けて生きている。

大人になった分だけ、演技も覚えた。

面倒な人間関係に巻き込まれるくらいなら、一人で生きているほうが楽。

降りかかる火の粉も少ないし、逆に周りに火の粉を振りかけることもない。

 

と思って少し前まで生きていた自分に、中年の自分に

心に刺さりました、変わろうと感じました。

この心が消えないよう、ここに残して忘れないように。