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リディアンのシングル子育て生活

リディアンがこれまでシングルファザーとして子育てしてきた実体験を、赤裸々に書いてみようと思います。

昨今毎日のように報道されている、「虐待」やそれによる「幼児殺傷事件」。
電車の中では我が物顔で座席を確保したり、泣いている乳児や走り回っている幼児を野放しにしている親。
さらに、終わりの無いベビーカー論争。

そういう場面を見る度に何ともいたたまれない気持ちや、怒りが込み上げてくるのも事実だ。
そして、そういう報道は年々増えてきているようにも見える。

「最近酷い親が多いよね~」という話題があちこちで上がるのも無理はないだろう。



しかし、ちょっと待って欲しい。

酷い親というのは本当に増えているのだろうか?



先日私が通勤中に、ベビーカーを歩道の端に止めて泣いている子供をあやしているお母さんがいた。
歩道はやや狭く、人がやっと2人横に並べるぐらいの幅である。

ベビーカーを止めるとその道はさらに狭くなり、道行く人は若干身を斜めにして通らなければいけない感じだ。
それでも全然問題無く通れる道である。

私が少し身を斜めにして、ベビーカーに当たらないように気を使いながら横を通りすぎようとすると、
そのお母さんはかなり申し訳無さそうに「すみません、すみません」と連呼していた。

正直そこまで申し訳ながらなくても良いのにと思いつつ、ちょっと見ていると、
ニコッと笑顔を返す人もいれば、中には迷惑そうな顔をしながら通り過ぎる人もいた。
そのお母さんはその次々通り過ぎる人全員に、ずっと「すみません」を連呼していた。


ここで、上で述べた「酷い親」云々の話につなげる訳ではない。

全く次元の違う話であるし、この人がやたらと気を使う人だったというだけで、
「すみません」を言うから偉いとか、言わなきゃ横柄だとかは全く思わない。


それよりも、その時思ったのが、

「大変だな…」

ということだった。


もしかしたら、以前にどこかで文句を言われたのかもしれないし、
私がちょっと前まで同じような境遇だったから余計にそう思うのかもしれない。
このお母さんも、今はそうしているだけで、もちろん他に酷い事をしていないとは限らないだろう。

ただ、ふと身の回りを見た時に、本当に「酷い親」というのはそんなにいるだろうか?

大抵の親は、我が子に愛情を持って、周りに気を使いながら、
どうにかこうにか「頑張って」育児をしているのではないだろうか?

その中で、時には少なからず周りに迷惑を掛けることはあるかもしれない。
自分で迷惑を掛けていることに気付かないこともあるかもしれない。

時にはカッとなって子供に手を上げてしまうかもしれないし、
気付かないうちに子供を危険に晒しているかもしれない。


それでも皆、本質的には「良い親」ばかりである。



中にはどうしようもなく「酷い親」というのも間違いなく確かに存在するだろう。

でも、それは親全体のごくごく一部にしか過ぎない。

例えばその割合が0.0001%から0.0002%に増えたとして、
それを「増えた」といえるだろうか。



私が言うと、どうしても「親側の意見」と取られてしまうかもしれない。

ただ、今は子供もそこそこ成長し、いわゆる育児期間というのも過ぎ、
どちらかというと、周りで見る側の立場になってきている。


そうなった今だからこそ言えるのだ。


はっきり言って、育児においてあれもこれも全部含めて完璧にすることは不可能である。


「完璧でなければならない」という世間の目こそが親を追い詰め、
最終的に行き着く先が育児ノイローゼによる虐待で「酷い親」を生む。
そういう「本末転倒」な現象はあちこちで起きていると思う。


ただし、親側の立場からそれを主張してはいけない。

そこはもちろん出来る限りの配慮をするし、申し訳ないという姿勢は大事だろうし、
時には謝罪も必要だろう。


だからこそ逆に、周りの立場に立った時は、
出来る限り許容したいと思うし、必要とあれば手助けをする。
たまたまその親の態度が気に入らなかったとしても、それに対して目くじらを立てるようなことではない。

そういう時もあるのだ。


「お互い様」で「持ちつ持たれつ」と思える、優しくて余裕のある社会。


そういったものが今の世の中、大事なのではないかと思う。