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リディアンのシングル子育て生活

リディアンがこれまでシングルファザーとして子育てしてきた実体験を、赤裸々に書いてみようと思います。

親になって、特に最初のうちは、ともすれば忘れがちだが、
子供を育てる上で最終的な目標というのは一般的に「子供を一人前の大人に育てる」ということがあると思う。

では、「一人前の大人」とはどういうものだろうか。
これは人それぞれイメージがあるかもしれない。


私はこう考える ──

「自分の頭で考えて、自分の責任を持って、自分で行動できる人」

なのではないかと。


   ☆   ☆   ☆


「親はなくとも子は育つ」という言葉があるが、これはどういう意味だろうか。
どう考えても親が居なければ、子供は育つどころか生きていくことすら出来ないように思える。

では、言葉を変えてみよう。


子供を一人前の大人にする為に、「子供に対して親が出来ること」はなんだろうか?


例えば、ある場面で行動出来る選択肢がAとBの2つあるとする。

親はこれまでの経験から、明らかにAの方が得策で、Bは人に迷惑を掛ける可能性があったり、道義的にあまり選ばない方が良い行動だったりすることが分かっている。

子供がBを選びかけた時、親はつい「Aにしなさい!」と言ってしまうことが多いだろう。
そして子供に対しても、それなりにAの利点やBの選んだ時の良くないことを並べ立てて説明はするとは思う。

しかし、子供はそんなこと知ったことではない。

もちろん筋道立ててしっかり話せばそれなりに伝わる部分はあるだろう。
しかし、大半のことは右から左に流れてしまい、結果として「Bを選ばせてくれなかった」親への不満だけが残る。
そして、いつかまた同じような機会があったら、ちょっと「Bを試してみよう」と思うかもしれない。
何故ならBを選んだ時の結果はまだ自分では体験出来ていないのだから。

さらに云うと、BにもBなりの大事な経験というのはあるものなのだ。

結局のところ親が躾と称して「ああしろこうしろ」と言ったところで、子供はその時は言う事を聞くかもしれないが、その判断に納得出来ているかどうかは全く別問題である。
自分で決めて自分で取った行動しか、その結果を100%真摯に受け止めることは出来ないのである。

人間とはそういうものだ。


にも関わらず、世間一般では「大人の言う事を聞く子」が「良い子」と見られることが多い。
親に対しても、「子供をしっかり躾けている(制御している)親」が「良い親」として見られることが多いのだ。

そうやって育てられた子は、最終的に自分の頭では何も考えることが出来なくなり、豊富な経験も積むことが出来ず、不自由な世界でストレスを抱えながら生きる、
おおよそ「一人前の大人」には程遠い状態になってしまうだろう。


もちろんこれまで書いたことはとても極端な話であり、実際にはそこまで子供を制御することも自由にすることも出来ないだろう。

ただ、上記の「子供に対して親が出来ること」を改めて考えた時、実は意外と少ないのではないかと思っている。


まぁとりあえず衣食住は揃えてやる必要があるだろう、教育を受けさせる義務もある。
子供が小さい頃は命の危険も多い為、それなりに守ってやらなければならない。

あとはせいぜい、子供の世界では責任の取りようが無い程の事にならないように見守りながら、子供の世界で伸び伸びとさせてやる。

正直これぐらいである。
これこそが「親はなくとも子は育つ」という所以ではないだろうか。


ただ、その為には無数の失敗と成功を繰り返す必要がある。
その影響範囲も大から小までさまざまである。

周りに迷惑を掛けることもあれば、身の危険を感じることもあるだろう。
時には不安に駆られて必要以上に手を出したくなることも多いし、時には親として非難を受けることもしばしばある。

そんな中でも、親も子供も失敗を恐れていては、いつまで経っても成長出来ないのだ。



もちろん親にも親のそれぞれの考えがあり、色んな子育ての仕方はあるだろう。それを否定はしない。


ただ、我々が育てているのは高性能で何でも言うことを聞く感情の無いロボットなんかではなく、

不完全で例え失敗しても立ち上がれる感情豊かな一人の人間だということを、忘れないようにしなければならない。