5月の始まり。

桜はすっかり緑色になって、若々しい印象に。


花も雑草も元気いっぱい成長して

夏に向けて陽のエネルギーが高まる感じがしています。




 

4月、私はまさに、タイトル通り・・・

 

「自分の内側の反映として

外側の現象が創られる」経験をしました。

 

この1ヶ月の間に

一つのお別れ(区切り)を経験したのですが、

それは、良い悪いではなく、

まさに、自分の内側で創りたい世界を

外側に反映しただけなんだ、としみじみ感じています。

 

 

外側の現象とは

昨年から知り合いだったある方、

ある団体とのお別れ(所属としての区切り)。

 

けど、結局、それらは全て

自分の願いだったのだ、と分かります。

 

 

はっきりとこの経験をするまでは、

その方、その団体に

「自分とは違う感覚」を持ちながらも

「みんな違ってみんないい」と

一緒に活動することに疑問を持っていませんでした。

 

 

むしろ、モヤモヤすることや、

多少の違和感があっても

知らない世界の学びとして自分の糧になるような、

世界を広げているような感覚を抱いていました。

(まあ、それも、そう思っていたから一緒にいるという世界観)

 

 

けど、

「みんな違ってみんないい」なんて

言っていられないくらいの違和感を

お相手の方が現象として見せてくれて…

私は自分の内側をしっかり見ることができました。

 

 

その人がより一層

「嫌な人」をやってくれたんですよねえ。

私自身に、私の内側を見る機会を作ってくれた。

えっ?って思うようなことをやって

私に驚きや嫌悪感という感情を抱かせてくれた。

 

私が自分が大切にしているものに気づき、

何を尊重して時間を過ごしていきたいか

鮮明に見せてくれた。

 

さらにそこから時間を経て

その「嫌な人として演じてくれた行為」自体も

私の中にある世界の反映、ということにも

気づかせてくれた。

 

 

結局のところ、

相手がどうこう、外側がどうこう、ではなく、

全て自分の内側の反映なんですよね。

 

 

自分の心が望んでいること、

自分が否定していることや

内側で思っていること、

それら全てを知る機会。

 

実にシンプルなことです。

 

 

嫌な人をやって

見せてくれたその方にも、

このプロセスを経験し、

学びを得るために

所属させてくれたその団体にも

深い感謝の気持ちがあります。

 

間違いなく世界は広がりました。

「〜じゃない側」を経験するって大事。

 

「〜じゃない側」を経験したとしても

「〜である側」だけが自分の世界ではなく

結局は、どっちも含めて全体の一部なのだから。