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人生という舞台で”自分” を 自由に放ちましょう!

〈タニーのブログ〉へ
ようこそ、お越しいただきました!

ほんとうは、人間というのは自分で自分を助けるようには
創られていないこと、

自分に出来ることは他者を助けることだけだという風に思
う自分がいました。


でもまだこのことは腑に落ちていないことも知りました。


自分を助けることは出来ないが他者を助けることで、相手
に助けられ自分が存続出来る、そういうことなのです。


だからどんな場合も視線は自分に向けるではなく、他者に
向けるべきなのですが、それがなかなか出来ていない。


いかに人に与えられる最善のことだけを考え行動し続けて
行けるかどうか、それが今の私の課題です。

いつも自分にとって辛いことも嬉しいことも、その時その
時に必要な最適なものを受け取っているということだけは
真実だと思いました。
長かったですがようやく自分のことが見えてきたように思います。

今までどうして見えていなかったのだろうかと不思議に思うほど、
それは明らかなことでした。

以前、脱サラして農業の道に入り野菜作りを始めたのですが、途
中から自分が作ったものよりもみんなが作ったものを売るほうが
楽しくなって来て、自分はこっちが向いていることを知りました。


そして今回、また同じようなケースであったことにやっと気づけ
たのです。

昨夜、自分のやった実績をぜんぜん認めていないと師匠から指摘
を受け、改めて自分のことをよくよく考えてみました。

自分自身の実績に対して、自慢できるものでないしそれがスゴイ
ことだとは、どうしても思えない自分、

それよりも人の実績を上げることのほうがやった実感が持てるこ
とに気がついたのです。

どのようにしてみんなの持っているものを引き出し盛り立ててい
けばいいのか考えるほうがワクワクして来て私自身、生かされて
いるのです。

この方向でもっともっと妄想して考えを深めてみようと思います。
昨年12月に「シンカプロジェクト」(注1)と出合って
早7ヶ月になります。

受講前までは、例えばネット上で○○すれば月収50万円
とか100万円をキープできると聞かされても、チンプン
カンプンで全くイメージもつかめませんでした。

しかし今は、それがどういうことを意味することなのか少
なくとも多少は理解できるようになりました。


ここまでたどり着くのに時間とお金と労力をかけましたが、
その甲斐は間違いなくありました。

また収入を得るためにはどうすればいいのか、どうしては
いけないのかも、ある程度の推測を立てられるように変化
したと思えるのです。

どういう方向へ進めばいいのかも見通せるようになったよ
うな気がします。こういうことは誰にも可能だと思います。


(注1)「3Sシンカ論セミナー沖縄合宿」で検索していただければ詳細に知ることができます。

地元に「道の駅」が来年の10月に開業する予定です。

それで農水産物の出荷希望者を募集中ですが、150人
見込みのところ現在、半分の人数も集まらない状態です。


開業までには150人以上は集まると私は思うのですが、
これから運営する側としては出荷人数がはやく集まらな
いとめどが立たない状況です。


私も生産者に積極的に参加の声掛けしていましたが、それ
ぞれの抱える悩みを聞くにつけて余り強くすすめることも
出来ないなと思いました。


農協など系統出荷がメインの農家の場合、直売所出荷は手
がかかり過ぎると思われ家族の反対が根強くあります。

また高齢化で参加を辞退する人もいて、まだどうするか迷
っている方がかなり多いです。


もちろん、やる気のある人もいますが、慎重というのか、
負担が増えたり何かあったらどうしようと否定的に考える
方が多いのです。

今の風潮がそうなのかと思いつつ、登録だけでも済ませたら
どうかとすすめているのが現状です。
あるサイトの記事を思い出して思わず、こんな言葉が
出てきました。

「これまで散々人々を批判し裁いてきたことをお許し
下さい。

今また人が批判しているのを裁こうとしていました」


そのある記事とは、次のような内容でした。


患者に襲われないかとビクビクしながら医師や看護婦
は背中を壁伝いに向けて廊下を歩いていたという、そ
んな荒れた病院があったそうです。

辞めていく職員も後を絶たず、そんな病院を見事に改
善させたという博士の方法でした。


病院関係者と直接に接触することなく博士は、その現
状を生み出したのは自分だとして、その関係者をひた
すら癒し続けたのでした。


その結果、患者たちが変わり職員の定着率も大幅に改
善したということでした。

「コメンなさい。許してください。愛しています」という
ような言葉を博士は送り続けただけだったのです。

博士の自分というとらえ方は、周りの全てのものも自
分だと大きくとらえていたことでした。

私もそのようなとらえ方が真実ではないかと思ってい
たのです。


これまでの自分の行為の結果が今現実となって返って
いることを思うと、ゴメンナサイと言うしか何もない
のです。

ほんとうに変わるべきは相手ではなく自分の方だった
のです。

この思いを忠実に表現する方法が1つ残されていると
すれば、それはひたすら祈り続けることではないかと
思いました。

このことに人生の終わりでなく、今気づけたことに感謝
したいです。