ブッダが最初の弟子5人に話した内容。

自然を見るがよい。山川草木の自然は調和している。生かされるままに生きているではないか。小鳥や動物たちの生活は、一見弱肉強食のように見えているが、よく見ると、彼らは、自分を生かしながら、他を生かしている。虎やハイエナは、腹が満たされれば、他を襲うことはしない。草食動物が増えれば、草木が枯れてしまう。といって草食動物がいないと草木は育ちにくい。彼らは、自然の条理にしたがって、自然を生かし、自らも生きている。自然は相互に依存し合いながら、全体を調和させている。動物たちの弱肉強食の姿をとらえて、人間に当てはめようとすると無理が出る。彼らは、そうした姿を通して全体を生かしているものであるからだ。人間はたがいに助け合い、自然をも含めて、より高い調和を目指すものである。ところが、欲望の渦中に自らを置き、争うために生きてしまう。

虎同士で殺し合いをするだろうか。よくよく考えなければならない。私の法は、大自然の万生万物が、相互に関係し合い、そうして、全体を安定させているように、まず、自己保存、自我我欲の心と行いを捨て、人類は皆兄弟だという心境になることである。

そうして、社会人類に奉仕することだ。苦と思わず、実践することだ。

苦と思える自分があっては実践はおぼつかない。

そこで苦と思えない自分をつくることが先決であり自己の確立が大事な要件になってくる。その要件を満たすには八つの条理を、生活の基礎におき、物差しにして、自分自身の心と行いを整えることだ。

正しく見ること。正しく語ること。・・・正しいとは、片寄りのない中道をいう。相手のいうこと、そして自分の見方、見解に偏見がないかどうか。人間はえてして、自己中心となり、他人を傷つけ、自分の心にも傷をつけてしまう。不利なことであっても、常に第三者の立場に立って、正しい判断と正しい言葉を忘れてはならない。

正しく思うこと。正しく念ずること。・・・五官を通して私たちの心の中に生ずる現象、つまり思う、考えることについても、偏らせてはいけない。思うことは「もの」をつくり出す原動力であり、創造の源であるからだ。心の中で不調和なことを思い、そうして念じて行くと、やがてその不調和を人々に及ぼし、自分にかえってくる。自己の利益だけを思ったり、相手の不幸を決して念ずるようなことがあってはならない。常に円満な、中道の心を持ち、怒り、そしり、ねたみ、うらみ、ぐちることなく、足ることを知った心の状態を心がければ、心は光明に満たされ、安らぎの境地に至ることができる。

正しく仕事をすること。・・・自ら選び、与えられた職業は、それはそのまま天職であり、その仕事を通して人生を学習してゆく。仕事、職業は、人生経験を豊かにする新しい学習の場であることを忘れてはならない。職業は、人々が生きていく上の相互依存の大事な場であり、したがって、健康で働けることに感謝しなければならない。感謝は報恩となって実を結ぶ。百姓たちが野良に出て精を出し、収穫を得ることによって家計が保たれる。報恩とは余ったものを人々に布施することだ。困っている人々を見て、みぬふりをし、自己保存に耽ける心は、自らが苦しみの種を蒔いていることになる。仕事といっても他に害を及ぼす仕事は正しいとはいえまい。

正しく生きること。正しく道に精進すること。正しく定に入ること。・・・片寄りのない人生を歩いているか、いないか。人としての道を外していないかどうか。瞑想という反省を通して、心の曇りを晴らした生活が大事なのである。

私は、三十六年間の人生において、思ったこと、行ったことの一つ一つを反省し、心の曇りをとり除き、一切の執着から離れることができた。

安らぎの境地は、こうして得られた。そなたたちも今から、今までの人生経験の善悪を反省し八正道にそむいた想念行為があったならば、心から神に詫び、同じ間違いを犯さないようにすることだ。反省は、盲目の人生修業をする人間に与えられている神の偉大な慈悲なのだ。動物たちに反省の能力のないことをみてもわかるだろう。