まるで尼僧の修業のように毎日朝から晩まで仕事をするのはなぜだろう?常に、勉強をし続けるのはなぜだろう? 金は十分にある、子供もいる、私がやめても何の支障もない。
一つの理由は、そこに仕事があるから。正直にいって、私は自分でこの仕事が向いているとおもったことはないし、この仕事にしがみついている理由もない。ただ目の前の仕事を誠実に一つ一つこなしているだけだ。だから仕事がなくなればそれで終わり。こちらから仕事をほしいといった覚えもない。起業をすることと目標にし、夢を見ている人もいるというのに私の場合は、周りから押されていつの間にか起業をしていた。3年持てばいいほうだとおもっているのに、気がつけば早10年余り。仕事はひきもきらないといえば自慢になるが、ビジネスは、運、値段、質のバランスだと思っているので、この3つがたまたま顧客のニーズとあっていただけ、ともいえる。それにしても、10年、創業以来コンスタントに利益をあげている自分をもっとほめてもいいのではないか、とは思う。
が、ビジネスとは怖いもの。一つ油断すれば大きな怪我をする。よって気が抜けない=修業の毎日。
二つ目の理由は、私の中にある激しいコンプレックスのせいではないか、と最近突き詰めて思うようになった。私は、お金には執着はないし、競争はきらい、営業、売り込みもっと嫌い、人はそれぞれ自分の思う人生をいきていけばいい、と思っていた。でも、ならなぜ、このような、競争の激しい、自己顕示欲の塊のような世界、お金を主とするビジネスの世界に身を費やしているのか?と思っていた。そして行き当たったのが、実は私は、上昇志向の高い、本当は自己顕示欲の激しい人間なのではないか、と。今の仕事を選んだ一つのきっかけは、「君になんかなれっこない」といった上から見下したようなある人のコメント(今は同業者)であったし、それは、かつて私が幼少のときにいじめられ、見下された経験を思い出されるからなのかもしれない。
3つ目の理由は、知的刺激を自分は常に受けたいという純粋な欲望だと思う。今の仕事をしていると時々、とんでもない賢い人にあう。まだそういう人はとても誠実で勤勉である。そういう人とお互い認め合い、仕事をともにしていくのはとてつもない快感である。たくさんのプレッシャーと時間との戦いの果てに一つのプロジェクトを完成させる。そこに自分の貢献があり、相手の貢献がある。それはとてもすばらしいことだと思う。
最後の理由としては、多分「続けること」にこだわっているのだと思う。どんなに自分が鈍くさくても、向いてなくても、しつこく続けることで、形になっていく。私が、ここにいて、この仕事をしている、ということ事体が奇跡であり、英語でいうと「meant to be]つまり、「宿命」なのだと思うから。
