2023.6.3 大原美術館は、今橋を挟んで大原家住宅本邸・別邸の向かい側にあります。

=大原美術館本館=

竣工 1930年(昭和5年)

設計 薬師寺主計

施工 藤木工務店

様式 イオニア式オーダー

大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自信がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した西洋美術・古代エジプト美術・中近東美術・中国美術などの作品を展示するために、1930年(昭和5年)に開館した美術館で、西洋美・近代美術を展示する美術館としては日本最初のものとなります。ニューヨーク近代美術館の開館が1929年(昭和4年)であり、日本国内にも数える日度しか美術館がなかった時代に、倉敷と言う一地方都市に美術館が開館したことは画期的なことでした。

大原孫三郎による美術館の開館は、社会貢献の一環で、彼は事業で得た富を社会に還元することの重要性を認識し、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを設立していきました。

第二次世界大戦末期は、水島の三菱重工水島航空製作所への爆撃や、広島市への原子爆弾の投下がありましたが、倉敷市への爆撃は全くなく、戦争による被害は受けずに済みました。

大原美術館 (ohara.or.jp)

⑤新渓園

=大原孝四郎別邸=

竣工 1893年(明治26年)

大原孝四郎の還暦記念として建てられた別荘で、和風建築として高く評価され、当時は「向邸」と呼ばれていました。その後、1922年(大正11年)に大原孫三郎が倉敷町に寄付され、大原孝四郎が雅号が「新渓」と称されていたことから「新渓園」と名付けられ、一般公開されました。

茶室の游心亭と和風建築の敬倹堂からなります。

⑨作庭は7代目小川治兵衛です。

⑪コの字型になっている工芸・東洋館です。