2023.5.12

=旧:カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会(旧:赤星鉄馬邸)=(登録有形文化財)

竣工 1934年(昭和9年)

設計 A.レーモンド

様式 モダニズム建築

赤星鉄馬は、海軍への物資調達で巨万の富を築いた赤星弥之助の子で、父の死去に伴い家業を継ぎました。1913年(大正2年)に赤星家の資産運用保管の目的で設立された泰昌銀行の頭取でしたが、この銀行は1920年(大正9年)に十五銀行に経営権を譲渡し、1923年(大正12年)には千代田火災保険の監査役だけが肩書で、実業家としての面は薄かったようです。

1917年(大正6年)には父・弥之助の保有していた美術コレクションを売却しますが、これらには後の国宝となったものが多数含まれており、総額500万円以上を超える落札額となりました。1918年(大正7年)に文部省管轄としては日本で初めての学術財団となる財団法人啓明会を設立して、美術品売却益の5分の1の100万円を奨学資金として投資しました。また、1928年(昭和3年)に武蔵野村が町となった際に、新庁舎建設にかかる建設資金を寄付したそうです。

1923年(大正12年)に関東大震災で、麻布鳥居坂の邸宅(跡地には国際文化会館が竣工)が倒壊したため、震災後は武蔵野村(現:武蔵野市)の木造住宅に住んでいましたが、1934年(昭和9年)にA.レーモンド設計の新居が完成し、その敷地は3万坪にも及ぶと言われています。新居は、鉄筋コンクリート造りで、曲線を取り入れたモダニズム建築ですが、1944年(昭和19年)には陸軍に接収され、更に戦後はGHQによって接収されました。接収解除後は、カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会が購入し、シスター養成施設として使用してきましたが、近年はシスターとなる希望者の減少や、2011年(平成23年)に最後の1人が巣立ったことから、2021年に修道女会は武蔵野市に建物と土地を寄贈することにしました。

現在は、市がこの建物と緑豊かな庭の有効活用を検討しているようです。

④居間・食堂 36畳で左側の作り付け家具は、アメリカから取り寄せた赤セコイアを使用して、レーモンドの妻で家具デザイナーのノエミ・レーモンドがデザインしたものです。

⑦執事室かな?

⑧何の部屋だったかな、、、書斎みたいな感じですが。

⑪夫人室

⑫夫人室の右奥の引き出しは、円弧上に開く扇状の引き出しがあります。

⑮1階蔵

⑲ここからが増築棟かな?

⑳増築棟和室

㉙ここからが2階かな。

㉛書斎の明り取りの丸窓はレーモンド建築の表現の1つです。

㉟書斎 赤星鉄馬のプライベート空間で、残された暖房器具は現在も使用できます。

㊲和室

㊴階段

㊺玄関