2023.3.4 山門

①やっと3月の京都の写真まで来た、、、一生写真の整理が終わる気がしない笑

②本堂 1877年(明治10年)の再建

=紫雲山頂法寺(六角堂)=

創建 伝・587年(用明天皇2年)

開基 伝・聖徳太子

本尊 如意輪観音

宗派 天台宗単立

札所 西国三十三所(18番) 洛陽三十三所観音霊場(1番) 聖徳太子霊跡(25番)

頂法寺の創建縁起は、醍醐寺本「諸寺縁起集」や「伊呂波字類抄」、「六角堂頂法寺縁起」等にも見られ、これらによる縁起は、敏達天皇の時代に淡路国岩屋浦に閻浮檀金(黄金)の如意輪観音が漂着し、この像は聖徳太子が前世に唐土にあって仏道修行していた時に進行していた像であり、聖徳太子はこの観音像を念持仏としました。

聖徳太子は、排仏派の物部守屋討伐に当たり、護持仏に「無事討伐できたならば、仏の功徳に感謝して四天王寺を建立いたします」と戦勝祈願したところ勝利しました。そして、寺建立の材料を求め、小野妹子とともにこの地を訪れ、水浴のために傍らに如意輪観音像を置いていたところ、像は重くなり動かなくなってしまいました。観音像は、これまで聖徳太子を守護してきましたが、これからはこの地で衆生を守護したいと告げ、これを聞いた聖徳太子はこの地に伽藍を建てることにしました。東からやってきた老翁が、紫雲たなびく霊木のありかを教えてくれたので、その木材を用いて六角形のお堂を建立したことが、頂法寺の始まりと言われています。

1125年(天治2年)の火災を始め、江戸時代末までに確認できるだけで18回の災害に遭ったようですが、庶民の信仰を集める寺であったことから、その都度再興されてきました。

代々住職を務める池坊は、仏前に花を供える中で様々な工夫を加え、室町時代の「いけばな」の成立に至ります。このことから、頂法寺は「いけばな発祥の地」とも言われています。

『六角堂』 紫雲山 頂法寺|聖徳太子創建、いけばな発祥の地 (ikenobo.jp)

④手水舎

⑥親鸞堂 親鸞が鎌倉時代の初め、1201年(建仁元年)に六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけとなったことから、親鸞の像を二体安置しています。

⑨太子堂 六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。

⑩聖徳太子が身を清めたという沐浴の古跡には白鳥がいました。

⑪六角堂の隣にあるWEST18というビルから、六角堂を上から眺めることができます。

⑫鐘楼 山門の道路を挟んで向かい側には鐘楼がありますが、ここは飛び地境内となっています。鐘は戦時中の金属供出により失われましたが、1954年(昭和29年)に再鋳されました。