2023.2.18 渉成園の門

②渉成園の園内マップ

渉成園は東本願寺の飛地境内地(別邸)です。1602年(慶長7年)に東本願寺12代教如上人が徳川家康から寺地の寄進を受け東本願寺が成立し、その後、13代宣如上人が江戸幕府3代将軍徳川家光より東本願寺の東側の土地を寄進され、1653年(承応2年)に退隠して自らの隠居所をそこに定め、石川丈山によって書院式の回遊庭園が策定されました。庭園名は、中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」の一節「園、日に渉って以て趣を成す」からとって「渉成園」と名付けました。そして、周囲に枳殻を生垣として植えたことから「枳殻邸」とも称されます。

1678年(延宝6年)から1754年(宝暦4年)の間は、東本願寺の学寮(大谷大学の淵源)が置かれました。

庭園は作庭時の姿を残しますが、1858年(安政5年)・1864年(元治元年)の2度の火災により焼失し、現在の殿舎は1865年(慶応元年)から明治初期にかけて再建されたものです。

渉成園|真宗大谷派(東本願寺) (higashihonganji.or.jp)

③高石垣

⑪臨池亭(左)と滴翠軒(中央) 隣池亭は1884年(明治17年)の再建で、池に臨んで建てられたことから、その名前が付けられました。滴翠軒も1884年(明治17年)の再建で、池に落ちる小滝(滴翠)から名付けられました。

⑬檜垣の燈籠

⑭代笠席 1888年(明治21年)の再建

⑮亀の甲井戸

⑰傍花閣 1892年(明治25年)の再建

⑲園林堂 1957年(昭和32年)の再建

⑳印月池 東山から上る月影を水面に映して美しいことから、印月池と名付けられました。広さは約1,700坪あり、園全体の約6分の1を占めています。

㉑大玄関 1884年(明治17年)の再建

㉓閬風亭 1865年(慶応元年)頃の再建

㉕縮遠亭 1884年(明治17年)頃の再建

㉗塩釜の手水鉢 日本全国にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、鎌倉時代の製作と考えられています。

㉚回棹廊 1884年(明治17年)頃の再建

㉝蘆庵 1957年(昭和32年)の再建

㊱塩釜 形が潮を製造する塩釜とそれを屋根で覆う塩屋のありさまに似ていることから塩釜と呼ばれています。縮遠亭で茶会を催す際の水源であったと思われますが、今は水が枯れてしまっています。

㊲碧玉の石幢

㊳源融ゆかりの塔 光源氏のモデルの1人と言われる源融の供養塔と言われる九重の石塔で、鎌倉時代中期の作と推定されています。

㊶蘆庵の春日燈籠

㊾侵雪橋