2023.1.1 大谷鉱山選鉱場跡

①2023年の初日の出を見た後、気仙沼に行く途中で大谷鉱山跡に行ってきました。

=大谷鉱山=

開山 1905年(明治38年)

産出物 金 

経営  1929年(昭和4年)から日本鉱業→1962年(昭和37年)に日本鉱業より大谷鉱山株式会社が分離

閉山 1976年(昭和51年)

閉山理由 鉱量枯渇

大谷鉱山の産金の歴史は、前九年の役以前までさかのぼり、平泉の黄金文化を支えたと伝えられています。

1905年(明治38年)に唐桑村の鈴木哲朗が試掘鉱区を設定し、露頭部の手掘り手選鉱による開発が続けられましたが、1928年(昭和3年)に初めて削岩機が導入されました。1929年(昭和4年)から日本鉱業に経営が移り、1931年(昭和6年)には岩尻坑の操業を開始、1934年(昭和9年)に処理能力月3,000トンの浮遊選鉱場が完成しました。1936年(昭和11年)に日満鉱業より赤牛坑、萱刈坑を買収し、翌々年には年間1トンの産金を記録しましたが、1943年(昭和18年)に太平洋戦争の激化に伴う金山整備例により休山となります。戦後、1950年(昭和25年)に操業を開始し、1951年(昭和26年)以降は年間産金量が400~450kgで推移したものの、埋蔵鉱量枯渇のため1976年(昭和51年)に閉山しました。

④現役時代の選鉱場

⑤竪坑櫓