2022.12.30 勅使門 1827年(文政10年)修築の棟札があります。

②総門 名島城にあった門を移築したものと伝わります。

③扁額 足利紫山の書

④無染池 2010年(平成22年)に造園・作庭家の北山安夫により大幅に改修されました。

⑤山門と太鼓橋 山門は江戸時代初期に桜井神社の観音堂を移築したものですが、1866年(慶応2年)に焼失したことから、1911年(明治44年)に再建されました。

=安国山聖福寺=

創建 1195年(建久6年)

開山 栄西

開基 栄西

本尊 釈迦・弥勒・阿弥陀三世仏

宗派 臨済宗妙心寺派

聖福寺は寺に伝わる「栄西言上状」によると、1195年(建久6年)に日本の臨済宗の開祖の栄西が宋より帰国後、源頼朝により八町四方を賜り、博多居住の宋人が建立した百堂跡に寺院を創建しました。1204年(元久元年)に落成し、「扶桑最初禅窟」および方丈の宸翰(天皇自筆の文書のこと)を賜り、山門には後鳥羽天皇の宸筆と伝わる扶桑最初禅窟の額がかかります。これが日本最初の本格的な禅寺で、最盛期には京都五山十刹の第3位に列する名刹であり、丈六の釈迦・弥勒・阿弥陀三世仏を安置する七堂伽藍、塔頭・子院を38ヶ寺を擁する一大伽藍を誇る博多の中心的寺院でした。子院の直指庵には九州探題が置かれ、外交交渉の窓口として外交僧を輩出しました。1563年(永禄6年)には戦乱の兵火により伽藍が焼失し、1568年(永禄11年)に耳峰玄熊が住職に就任し、1570年(元亀元年)から再興しましましたが、1574年(天正2年)に再び伽藍を焼失し、荒廃しました。

1587年(天正15年)に豊臣秀吉による太閤町割により境内は四町四方に縮小されますが、小早川隆景が寺領300石を寄進し、彼の庇護のもと、玄熊が仏殿や総門などの緒堂宇を再建しました。

1595年(文禄4年)に豊臣秀吉により寺領200石、1600年(慶長5年)には黒田長政により200石が寄進されました。

創建当初は臨済宗単独寺院でしたが、開山した栄西が京都に建仁寺を開山した後は、建仁寺派となり、さらに、江戸時代には黒田長政の命により妙心寺派となり現在に至ります。

安国山 聖福寺 | 日本で最初の禅寺 (shofukuji.or.jp)

⑥鐘楼 1589年(天正17年)の建立 1976年(昭和51年)までは重要文化財の朝鮮鐘がかけられていました。

⑦仏殿 1587年(天正17年)の建立

⑩庫裏 1589年(天正17年)の建立

⑫瑞応庵の山門

⑬塔頭の瑞応庵

⑱護聖院の山門

⑲西光寺の山門

⑳塔頭の西光寺

㉒塔頭の幻住庵の山門

㉔順心寺の山門

㉕順心寺本堂 もともとは聖福寺の子院だったようですが、こちらの宗派は臨済宗建仁寺派なので、聖福寺が妙心寺派に変更したときに、こちらは変更しなかったということなのでしょうかね。

順心寺<公式サイト>|福岡市博多区にある臨済宗建仁寺派の寺院です。順心寺では、納骨堂の加入者を募集しております。 (junshinji.com)