2022.12.30 博多祇園山笠発祥之地の碑

②山門

③鐘楼 梵鐘は1065年(清寧11年)の鋳造

④仏殿(覚皇殿) 中央に釈迦如来、左脇侍に文殊菩薩、右脇侍に普賢菩薩(いずれも重要文化財)が安置されています。

⑤中門

⑥方丈

=萬松山承天寺=

創建 1242年(仁治3年)

開山 円爾

開基 円爾

本尊 釈迦如来

宗派 臨済宗東福寺派

1242年(仁治3年)に、謝国明など宋商人の援助を受けて、大宰少弐武藤資頼が円爾(聖一国師)を招聘して創建しました。最盛期には43寺の塔頭を有していましたが、現在は4寺です。

境内は仏殿の「覚皇殿」、方丈、開山堂からなりますが、承天寺通りを挟んで北東と南西に分かれています。これは、1963年(昭和38年)の博多駅移転に伴う区画整理事業によるもので、山門と仏殿は南西側、本堂と墓地は北東側にあります。

承天寺はいろいろなものの発祥の地となっていて、「饂飩蕎麦発祥之地碑」「御饅頭所碑」「満田弥三右衛門の碑」「博多祇園山笠発祥之地の碑」があります。

「饂飩蕎麦発祥之地碑」 宋から帰国した円爾は「水磨」と言う水車による製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本に広めたことから承天寺はうどん・そば発祥の地とされています。また、謝国明が大晦日、貧しい人々にそばをふるまったことが、年越しそばの始まりと言われています。

「御饅頭所碑」 円爾は托鉢の途中で親切にもてなしてくれた茶店の店主栗波吉右衛門に酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えます。栗波吉右衛門は「虎屋」の屋号で酒饅頭を売り出しました。円爾の「御饅頭所」の看板は現在東京の虎屋に保存されています。

「満田弥三右衛門の碑」 博多織は弁円と共に宋から帰国した満田弥三右衛門が持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされています。江戸時代、幕府への献上品となった博多織の献上柄と言われる独鈷と華皿の模様は弁円の発案によるものと言われています。

「博多祇園山笠発祥之地の碑」 1241年(仁治2年)に博多の町に疫病が流行した際、円爾が木製の施餓鬼棚に乗り担がれて、疫病退散を祈祷して聖水を撒いて町中を回ったことが博多祇園山笠の起源とされており、7月の博多祇園山笠の際には承天寺前に清道が設けられます。

きれいな石庭と饂飩・蕎麦・饅頭・博多織の発祥地 | 博多の魅力 (hakatanomiryoku.com)

⑦天興庵の門

⑨勝手門

⑪唐門

⑭洗濤庭