2022.12.29 太宰府天満宮から天開稲荷神社に行く途中に赤レンガのトンネルがありました。

=宝満山参拝隧道(お石トンネル)=

竣工 1928年(昭和3年)

麻生太吉が寄進したもので、宝満山参拝隧道と言う名称ですが、地元の人からは「お石トンネル」と呼ばれています。これは、太宰府天満宮の境内奥に「お石茶屋」という店を営んでいた人が、「お石さん(江崎イシさん)」と呼ばれており、色白の美しい女性だったそうです。「そのお石さんに惚れた麻生太吉が、竈門神社の近くにあるお石さんの自宅と茶屋との行き来のために茶屋の脇に掘らせた“愛のトンネル”である。」と言うことから、お石トンネルの愛称で呼ばれているそうです。

=定遠館=

竣工 1897年(明治30年)頃

1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、その際に清国の北洋艦隊の旗艦が「定遠」でした。黄海海戦で防衛に当たっていた定遠は、1895年(明治28年)2月5日に雷撃を受け、2月10日に沈没しました。

日清戦争後、太宰府天満宮の神職で衆議院議員であった小野隆助は、定遠の引き揚げを大本営に依頼し、1896年(明治29年)3月6日にその許可が下りました。そこからおよそ1年かけて引き揚げた部材を再利用して、記念の館を建てました。

⑧門扉には定遠の装甲鉄板を使っていて、砲弾がさく裂した後がそのまま残っています。

=斎藤秋圃旧宅=

竣工 昭和初期

江戸時代に秋月藩御用絵師であった斎藤秋圃が隠居後に住んでいた建物で、現在は20m東側に移築され、跡地は公園となっています。

⑫門に囲まれていて、全容は見えませんでした。

⑭もともとはこの場所にありました。

⑮太宰府去来荘