2022.5.8

②蔵王大権現大鳥居 1962年(昭和37年)の蔵王エコーラインを記念して、1969年(昭和44年)に建立されました。

=刈田嶺神社(奥宮)=

創建 679年(白鳳8年)

祭神 天之水分神 国之水分神

刈田嶺神社は蔵王連峰の宮城側、刈田岳(標高1,758m)の山頂にある神社です。「金峰三山御縁起」によると蔵王に鎮座する蔵王大権現は、679年(白鳳8年)に役小角が開いたとされています。もしくは、小角の叔父の願行が勧請したとも伝えられています。

蔵王大権現は蔵王一帯の修験者の統括し、大刈田山(青麻山)東麓の「行願寺」が管理しました。12世紀末には奥州藤原氏の庇護を受け、行願寺は繁栄し、小院48坊を形成するまでになりますが、奥州藤原氏の滅亡とともに衰退し、兵火による焼失も加わって、応仁の乱後には山之坊・宮本坊・嶽之坊の3坊まで減ってしまいました。後に、山之坊は廃れ、本宮坊は天正年間(1573年-1592年)に宮蓮蔵寺となり、嶽之坊は金峯山蔵王寺嶽之坊と称し、蔵王山参詣表口の統括をしました。

明治維新で、明治政府より出された神仏分離令が施行されると、吉野では「蔵王権現」を神号として、僧侶が神官となり、これにより、当地でも1869年(明治2年)7月に「蔵王大権現」を「蔵王大神」へと改称し、「蔵王神社」と称しました。更に同年9月には、蔵王大神とは「天之水分神と国之水分神」の2柱であるとの解釈から、社号を「水分(みくまり)神社」に改称しました。1875年(明治8年)に水分神社から「刈田嶺神社」と称するようになりました。

蔵王嶽は、冬の間積雪で参詣ができないため、例年10月8日に奥宮から里宮へ遷座し、蔵王エコーライン・蔵王ハイラインの開通に合わせて奥宮に遷座されます。