2022.2.27 久昌寺

①今回の名古屋旅行のメインは閉店する松楓閣に行くことと、江南市にあり解体されることになっていた久昌寺に行くことでした。久昌寺は名鉄犬山線の布袋駅から徒歩15分ぐらいの場所にあります。

③庫裏 竣工時期は不明なものの江戸時代の建築と言われています。

⑤本堂 1925年(大正14年)の建立で、本堂の一部には1577年(天正5年)の部材が使われているようです。

=嫩桂山久昌寺=

創建 1384年(至徳元年)

宗派 曹洞宗

解体 2022年7月

久昌寺の起源は、1384年(至徳元年)に禅喜寺として創建、その後、龍徳寺と改称し、大和国から移住してきた生駒氏の菩提寺となりました。

織田信長の側室であった生駒吉乃が1566年(永禄9年)に病没した際に、「久庵桂昌大禅定尼」の名でこの寺に祀ったことから、信長により寺号を久昌寺に改名し、香華料として660石を寄進しました。信長との間には、後に岐阜城主となる長男織田信忠、次男信雄、徳川家康の長男徳川信康の妻となった徳姫をもうけたとされています。

1825年(文政8年)に豪潮律師が久昌寺に滞在し法座を開いた際に、久昌寺に鎌倉時代から伝来していた十六羅漢像の掛け軸の内、第二、第八、第十一、第十五尊の四幅が欠けて十二幅になっていたことから、足りない四尊を描きあげて十六羅漢としたものが、後に久昌寺から鶴見の総持寺へと寄進されました。その十六幅のすべてが重要文化財に指定されています。

2021年に檀家の減少と建物の老朽化により、寺の管理が困難になったことから宗教法人の解散が決まり廃寺となりました。クラウドファンディング等の活用も考えたようですが、長期的な運営は困難と考えての決断だったようです。2022年5月より建物の解体作業に入り、解体後の土地を市が買い取って、2023年度中に公園として整備することになっています。

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⑯生駒氏の代々の墓

⑰一番右の墓石が生駒吉乃の墓です。このお墓は公園整備後も残されるようです。