2022.2.26 山門 1989年(平成元年)の建立
①
②鐘楼 1985年(昭和60年)の建立
③手水舎
④
⑤
⑥本堂 1984年(昭和59年)の建立。魚津常義の設計、竹中工務店の施工。
=覚王山日泰寺=
創建 1904年(明治37年)
本尊 釈尊金銅仏
宗派 超宗派
札所 大名古屋十二支
日泰寺は、タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、1904年(明治37年)に覚王山日暹(にっせん)寺として創建しました。「覚王」は釈迦の別名で、日泰寺の「日泰」は日本とタイ王国を表しています。
1898年(明治31年)にネパールの南境に近い英領インドのピプラーワーで、イギリスの駐在官ウィリアム・ペッペが古墳の発掘作業中に1つの人骨を納めた蠟石の壺を発見しました。その壺には西暦紀元前3世紀頃の古代文字が側面に刻みこまれていて、それを解読したところ「この世尊なる佛陀の舎利瓶は釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置したてまつるものである」と記載されていました。その後、インド政府は釈尊の遺骨を仏教国であるシャム国(タイ王国)に寄贈し、それをセイロンやビルマにも分与、さらにこのことを聞いた日本も仏教徒に分与してもらえないか懇願した結果、1900年(明治33年)にシャム国から日本に分与されることになりました。1949年(昭和24年)にシャム国からタイ王国に改名した際に、覚王山日暹寺から覚王山日泰寺に寺名を変更しました。
日本仏教界における特別な位置づけとして、真宗大谷派・浄土真宗本願寺派・曹洞宗など複数の宗派が合同で設けた超宗派の単立寺院で、各宗派の館長が3年交代で住職を務めています。
真正仏舎利は、本堂のある境内から離れた「奉安塔」の中に安置されていますが、一般公開はされていません。
境内は、創建時は約10万坪でしたが、現在は4万坪になっています。
公式│覚王山 日泰寺│お釈迦様が眠るお寺│愛知県名古屋市 (nittaiji.or.jp)
⑦五重塔 1997年(平成9年)の建立。高さは30m。山口県の瑠璃光寺をモデルに作製されました。
⑧山門と五重塔
⑨須弥山歳覚寺
=須弥山歳覚寺=
創建 1897年(明治30年)
開基 髙木實田
本尊 一光三尊阿弥陀如来(歳弘法堂) 如意輪観音菩薩(慈悲堂)
札所 西国三十三観音霊場(1番) 慈悲堂
須弥山歳覚寺は、髙木實田和尚が1897年(明治30年)に開基しました。「歳弘法堂」と「慈悲堂」の2つのお堂からなり、歳弘法堂には長野市の善光寺より本尊の分身を安置して祀っていて、慈悲堂には那智山青岸渡寺の本尊の如意輪観音菩薩の分身を祀っています。
由来・沿革 – 須弥山 歳覺寺 (saikakuji.nagoya)