2021.11.13 参道の街並み

①JR・京成成田駅から成田山新勝寺までは少し距離がありますが、街並みがきれいなので、全然苦ではありません。ただ、夏場は無理かな、、、私の場合、お寺に着くまでに汗だくになりそうなので、、、この時は行きは京成成田駅で降りて、帰りはJR成田から乗りました。

③大師堂 1888年(明治21年)の再建

④総門 開基1070年の祈念事業により、2006年(平成18年)に建立された、高さ15mの楼門です。2階には不動明王、千手観音、大日如来などの8体の木製仏像が安置されています。

⑦仁王門(重要文化財) 1831年(天保2年)の建立

⑨仁王門から総門を眺める

⑭大本堂 1968年(昭和43年)の建立

=成田山新勝寺=

創建 940年(天慶3年)

開山 寛朝僧正

開基 寛朝僧正

本尊 不動明王

宗派 真言宗智山派

寺格 大本山

札所 関東三十六不動霊場(36番)

成田山新勝寺の縁起は、平安時代中期に起こった平将門の乱に始まります。朝廷は追討軍を派遣するとともに平将門調伏の祈願を大寺社や密教僧に命じ、939年(天慶2年)に寛朝僧正も朱雀天皇の密勅を受け、高雄山(神護寺)護摩堂に安置されていた空海作の不動明王像を奉じて総国へ下りました。難波津(大阪湾)から海路で上総国に向かい、陸路で下総国に入り、この地で朝敵調伏の不動護摩供を奉修すると、将門は戦死し、朱雀天皇は不動明王の霊験であると歓喜しました。この後、寛朝僧正が京に戻ろうとするも不動明王像が動こうとしないため、これはこの場所で東国鎮護の霊場を開くべきとの考えのもと、朱雀天皇から神護新勝寺の寺号と天国宝剣を下賜されました。

成田山は、その後、源頼義、源頼朝、千葉常胤、徳川家康、徳川光圀といった関東有力武将の崇敬を受けました。

1566年(永禄9年)頃に成田村の名主が不動明王像を背負って遷座し、伽藍を建立した場所が、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺で、成田山新勝寺の名前が成立し、成田山発祥の地と言われています。戦国時代には荒廃しましたが、江戸時代に入り世情が落ち着くと伽藍の再建がなされ、江戸からも近いことから参詣者が増えました。

大本山成田山新勝寺 – 成田山新勝寺 千葉県成田市成田1 (naritasan.or.jp)

⑮三重塔(重要文化財) 1712年(正徳2年)の建立。高さは25mで内部には大日如来が安置されています。

⑰一切経堂 1722年(享保7年)の建立

⑲鐘楼 1701年(元禄14年)の建立

㉒大本堂と三重塔

㉔釈迦堂(重要文化財) 1858年(安政5年)の建立。かつての本堂で、現在の大本堂の建立に当たり、1964年(昭和39年)に現在の場所に移築されました。

㉕聖天堂 2008年(平成20年)の建立

㉖額堂(重要文化財) 1861年(文久元年)の建立で、絵馬を掲げるための建物です。

 

㉙開山堂 1938年(昭和13年)の建立で、開山した寛朝僧正の御姿を安置するお堂です。

㉚光明堂(重要文化財) 1701年(元禄14年)の建立で、釈迦堂の前の本堂でした。

Part2へ