2021.2.14 三井ガーデンホテル銀座プレミア

①三井ガーデンホテルが入る銀座三井ビル。なんでか知らないけど、このビルはお気に入りなんですよね~

=電通本社ビル=

竣工 2002年(平成14年)

設計 大林組 ジャン・ヌーヴェル ジャーディ・パートナーシップ

施工 大林組 鹿島建設 清水建設 大成建設 竹中工務店

所有 電通→ヒューリック??

高さ 213.3m

汐留でも際立った存在感を示している電通本社ビルですが、コロナの影響によるテレワークの影響で、このビルで働く9,000人超の出社率は2割程度となり、それに加えて、電通の2020年12月の決算は約1,600億円の損失で2年連続の赤字となったことから、電通は財務体質の改善のためにこの象徴的なビルを売却する方向で話を進めているようです。その額、なんと、3,000億円で、優先交渉権はヒューリックだそうです。ヒューリックは大手不動産の中でも随分アグレッシブですよね~業績もこれまで右肩上がりだったし。

もし電通が自社ビルを売却しても、賃貸契約を結ぶのでしょうけど、このビルのどの程度を借りるんでしょう。近くで見るとものすごい巨大で縦にも横にも大きいです。1つの会社でこのビルを使っていたなんて信じがたいですね、、、恐らく、不動産関係では、今年最大の案件となるでしょうから、今後の展開を追っていこうと思います。

⑦電通ビルのとがった方。

⑧汐留って写真を撮っていると面白いですよ。

⑨カーブはゆりかもめ。

⑩広角レンズが力を発揮しますね~

⑫最後は電通銀座ビルです。

=電通銀座ビル=

竣工 1933年(昭和8年)

設計 横河工務店

施工 大林組

高さ 31m

電通の前身は、1901年(明治34年)に光永星郎によって設立された日本広告(通信社の電報通信社を併設)と、同じく光永によって1909年(明治42年)に設立された日本電報通信社で、1910年(明治43年)に電報通信社、翌年に日本広告を合併して、現在の銀座6丁目に本社を構えました。しかし、このビルが手狭となったことから、1911年(明治44年)に銀座7丁目に新社屋を建てるも、関東大震災で被害を受け、本社移しながら、1933年(昭和8年)にこの場所にビルを竣工させました。当時の建築法令で100尺(約31m)の高さ制限があり、このビルは上限いっぱいに建てられたことから、銀座随一の高さでした。

戦後の業容拡大に伴い、この電通銀座ビルだけでは手狭になり、周辺の6つのビルを賃貸していたものの、経費の無駄と連絡の不便さから、当時の電通社長日比野恒次は新ビルの建設が必要と判断しました。

1967年(昭和42年)に築地に丹下健三が設計した新本社ビルが完成したことから、本社ビルを築地に移し、その後、人員の増加から再び築地ビルだけでは手狭となったことから、1997年(平成9年)に汐留再開発地区の土地を取得して、汐留の電通本社ビルを2002年(平成14年)に竣工させて本社を移転しました。移転後の築地ビルは電通子会社の電通テックが本社ビルとして使用しましたが、2014年(平成26年)9月に新幸橋ビルに移転したことから、近隣のビルと一緒に住友不動産に売却されました。