2020.11.27 山門
①京都の写真もこれでラストです。
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③本堂
=法鏡山妙傳寺=
創建 1477年(文明9年)
山号 法鏡山
開山 日意上人
開基 妙善
本尊 三宝尊
宗派 日蓮宗
寺格 本山
妙傳寺は日意によって1477年(文明9年)に一条尻切屋町に建立されたのが始まりで、宗祖の日蓮の御真骨を奉安、同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置して、西身延と呼ばれるようになりました。しかし、1536年(天文5年)の天文法難(法華一揆)により焼失、1541年(天文10年)に西洞院に再興したものを、第2の妙傳寺といい、1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命で京極二条に移されたものを第3の妙傳寺といいます。この第3の妙傳寺は一条家と四条家の菩提寺となります。宝永の大火の際には再び全山焼失してしまったことから、1708年(宝永5年)に現在の二条川端に再興され、これを第4の妙傳寺と言われ、現在に至ります。
西身延 本山 妙傳寺|日蓮宗 寺院ページ (nichiren.or.jp)
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⑤御真骨堂
⑥妙傳寺の道路を挟んで反対側にあるのは大恩寺。
=日陽山大恩寺=
創建 1585年(天正13年)
山号 日陽山
開山 天阿岌向上人
本尊 三尊仏
本堂 1711年(正徳元年)
宗派 浄土宗
1585年(天正13年)に豊臣秀吉が叔母(大恩院殿日陽慶春大姉)の菩提を弔うため二条室町西に創建。 開山は天阿岌向上人で、 1587年(天正15年)に京極丸太町に移転の後、 1708年(宝永5年)の大火で堂宇を焼失し、現在地に移りました。 現在の地へ移った後も明治維新までは塔頭寺院が三ヶ院存在したそうです。
⑦本堂 1711年(天正13年)の建築。
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=聞名寺=
創建 不明
開基 光孝天皇
本尊 阿弥陀如来
宗派 時宗遊行派
もともとは室町通り大炊御門の北にあり、第54代仁明天皇の第3皇子時康親王の御殿がありました。
親王は当時の医薬では治らないほどの眼病にかかりましたが、加茂の明神に平癒祈願のため17日間参籠すると、夢の中に老翁が現れ「眼病平癒を求めなば地蔵菩薩を刻して守護仏となすべし」と告げました。そこで慈覚大師に仏像を作らせ、これを明眼地蔵とし祈願したところ治癒したと言われ、それ以来、眼病治癒祈願として信仰されるようになりました。その後、時康親王は第58代光孝天皇となりました。
887年(仁和3年)に光孝天皇没後、小松殿はその遺志により天台宗の小松寺に改められ、その後は衰退しましたが、鎌倉時代に一遍上人が時宗道場の小松院聞名寺として再興しました。
宝永の大火で焼失したため現在の地に移転しました。本堂の前に立つ七重石塔は光孝天皇が祀られていて、光孝天皇塔と称される軸部は室町時代のものといわれます。