需要は作られるという現実を知らない
需要ってあるの?
需要っていうものは存在するのかを一度考えてみると仕事の仕方は変わってくると思う。「『需要がない?』ということを聞くと何言ってんだ!」と思われるかもしれません。しかし、冷静に考えると「需要とはないかも?」と思うようになります。
例えば、「需要」を考えるのにクルマのことを考えてみましょう。クルマが登場する前には「馬車」が存在していた。そのため、もしかしたらクルマの潜在需要はあったのかもしれない。
「ゴッファーザー」という映画を観ると1900年前後のニューヨークでは、馬車とクルマが共存している。そう言った時代を経て現在の車社会になる。ではクルマが増えたメルクマールとなるものはなんなのか?
それは、大量生産で生み出された「T型フォード」の登場にあると言われています。しかし、大量生産されるだけでクルマが増えてのかとえば一概に肯定は出来ない。「T型フォード」がうれて理由は需要をフォードが作ったことにあります。
クルマが売れないで悩んだフォードは、社員募集で画期的なコピーを考えます。給与を大幅に上げて、「給与3ヶ月でT型フォードを買うことができます」と広告を打ったのです。
面接には大量にやってきて、大量採用をし彼らは入社後すぐに「T型フォード」を買ってくれた。その結果街中には「T型フォード」は街中に溢れるようになり、一気に自動車社会に変わっていきます。
そうなんです、フォードはクルマについする需要を作ったことになります。
マーケティングってなに?
かつていた不動産会社では、新築のマンションの販売時には事前にマーケティングというものを行なっていました。このマーケティングで、仕様や広さそして販売価格を決めることになっていました。
これをマーケティングと言ってましたが私は違和感を持っていました。
これがマーケティングでないと判断するのは、既存の販売物件を調べるだけであって、その市場に存在しない潜在ニーズを掬い上げることは出来ないからです。
日本の企業のマーケティングとは、競合他社との商品比較を行うだけで、需要を呼び起こすようなものではありません。基本的に成績優秀な方が大手企業の幹部になるので独創的な人は少ない傾向があります。市場にないものを供給して失敗するリスクよりは、市場にあるもので比較検討が可能な商品を開発する傾向が強くなっています。
シーズニングの発見
スーザンストラッターの「欲望を生み出す社会」は、20世紀の資本主義は市場にない商品を開発し、需要を作る作業の連続であったと分析されています。「シーズニング」の市場ができる経過は面白い話でした。
とある作業工程で偶然「シーズニング」ができた。しかし、シーズニングなんていう商品は存在していなかった。そこで、「シーズニング」とゆう市場を作ることになりました。
まず問題になったのが「どういったパッケージを使う」?市場にない商品ですから、ど言ったパッケージにするのかのデザインから始まります。当然、どの程度の大きさが適切なのかを考えることになります。
次に全米での販売ですので物流をどうするのかを考えることになります。
ここまで作ったところで商品の実際の販売を行うことになる。今まで存在していない商品ですから、商品だけを置いてても売れないので、使い方の教室をやって販売をするしかない。
しかし、教室での販売では拡販は出来ない。そこで、町中のスーパーに置いてもらう方法を考えた。その手法は全てのスーパーに何個かを無料で配り売ってもらう。その上で取引したいとなれば販売をする。
無料でしれられるので粗利100%になるので各スーパー目立つところに置いてくれるようにする。スーパーの体制ができたところで使い方教室を行い来場したお客様に「スーパーに行ったら置いてありますよ」と売り込む。
この流れで商品に関する需要を作って市場を作ったのが「シーズニング」です。今や日本のスーパーにもいっぱい置いてありますよね。
だから需要を作ることが大切
基本的に需要はあるのかをもう一度考えてみてください。多分「需要はある」という考えに疑問が出てきませんか?大切なことは「疑問」に思う気持ちにあります。どうしても常識と受け入れることから始めると間違った判断につながります。
常に「需要は作る」ことも必要であると意識していると市場の見え方は変わると思います。日頃「ここに需要はある」と考えて行動しても結果が伴わないことは多くあります。
こんな不動産のニーズはあるはず、こんなリノベーションの人気なはず、必ず保険には加入するなんて考えがちです。でも結果が伴わない。それには、「需要を作る」という作業がないからかもしれません。
リノビズ工房
代表 倉元
kuramoto@wrl.jp