ポストコロナの世界を考えていきましょう。

 

実はポストコロナに世界は、今とは違う世界になっているのではないでしょうか?私がそのように考える一番の理由は、「新型コロナウィルスが平等だった」ということに尽きます。今まで感染症が広まることはあっても、どちらかというと風土病的な広がりが中心でした。しかし、今回は一瞬にして世界中に広がった。そのため各国が同じような措置を取ることになった。つまり同じ問題に対して同じような社会対応をした。そのため、今までのプラットフォームが破壊され新たなプラットフォームが構築される余地が存在したことになります。この予知から生み出される新たなプラットフォームを色々な角度から検討し、ポストコロナの社会を考えてみたいと思う。

 

第1回目のシリーズは新型コロナウィルスと戦争に関してのお話を始めることにします。

 

1ー1 感染症と戦争は同じことなのか?

感染症との戦いという表現

マスコミはこぞって感染症対策を「感染症との戦い」と表現しています。現実に多くの患者や医療従事者がその命を落とすので、戦争と似たようなところはあるのかもしれません。特に、感染症対策はウィルスの制圧を求めるため、どうしても戦いとの印象がもたれがちです。

 

しかし、現実にはウィルスは変異することで生き延びていくため簡単には制圧できるようなことはありません。有効な手法としてのワクチンとは、ウィルスの毒性を落として体内に抗体を作ることで発症を防ぐそうです。感染症対策に関するワクチンの考え方は、ある意味ウィルスと共存するということではないでしょうか?そう考えるとどうも制圧や戦争という言葉とは異なってきます。

感染症と戦うとは戦争と同じことなのか

 

感染症との戦いと戦争の戦いはある意味異なっているのかもしれません。違いをわかりやすくするためここでは戦争の定義を考えてみます。憲法学者は、戦争とは「相手国の憲法の書き換え」が本質だと説明しています。カイヨワの「戦争論」でも帝国戦争とは領土拡大を目的とし、対象地域を征服していくと述べてる。二つの定義は一致していて、戦争では相手を力で制圧するということになります。

 

感染症対策は共存であり、戦争は制圧である。そう考えるとやはり、戦争と感染症対策とは同一に考えてはいけないことを感じていていただけるのではないでしょうか?マスコミは、わかりやすくすることで視聴率を稼ぎますので、どうしても安易な分析を行いがちです。感染症対策と戦争には違いがある事を認識すると、ポストコロナの世界を考える上で重要なこととになります。

感染症と戦争の類似点

感染症と戦争の類似点を考えてみましょう。まず最初に浮かぶのは「多くの人が死ぬ」という事実です。実際毎日にように報道される海外の病院はまるで戦場のように感じられます。戦場の病院と異なるのは血が流れていないのと砲弾の音がしないことだと思います。

 

朝鮮戦争を扱った映画に「マッシュ」があります。戦場での野戦病院の日常を扱った作品です。野戦病院では、バレーボールなどしてリラックスしているときに、突然局地戦で傷ついた兵士たちがヘリコプターで運ばれてきて戦場のようになります。平穏な時間が戦争で一瞬にして切り替えられる恐ろしさを表現していました。

 

そのような野戦病院とNYの病院は同じかもしれません。しかし、共通性はなかなか見つけることはできません。最初にあげた「多くの人が死ぬ」くらいしかないのではないでしょうか?

 

感染症と戦争の相違点

では、感染症と戦争の違いを考えてみましょう。

戦争は相手を制圧するために必要な爆撃という破壊行為を行います。感染症では破壊行為は行われません。その結果戦争では生産設備の復興は大変なお金と時間がかかりますが、感染症では破壊行為がないため生産設備の復旧には費用はかかりません。

 

戦争は計画的に行えますが、感染症の拡大は計画的には行えません。その延長線にありますが、戦争は社会的地位などで戦場に行かなくともすみます。しかし、ウィルスはダニでも平等に感染させます。ロスチャイルド家の人は戦場に行かないことは可能ですが、新型コロナに感染しないとは言い切れません。不明の感染者か感染されることはあり得ます。この「平等に感染させる」という事実は、ポストコロナを考える上で重要な要因になります。

 

そして最も大切なことは戦争には終わりがないが感染症との戦いには終わりがあるという事実です。感染症は、全人類が感染するかそれとも死滅するかで拡大は止まります。しかし、戦争は違います。前述のカイヨワは、近代戦争の継続に関して「人間的な意味での戦争はもうあり得ない」といい、戦争は膨大な物量の発生の継続から永遠と継続することになると指摘しています。そうなんです、戦争には終わりがないのです。現実には中東での戦争はここ30年くらい継続しています。戦争とは実は終わりがないものないのです。

 

ポストコロナの時代は戦争をベースに考えてはだめ

今回のポストコロナの世界を考えるに当たっては、戦争をイメージして考えると間違う事を理解していただけたでしょうか?ポストコロナのスタート時点とは1945年8月15日の焼け野原のイメージではないことは分かりますよね?生産設備はあるが、街中には人っ子ひとりいない状況にいきなり生産人口が降って湧くような状況です。想像するに、第二次世界大戦後のニューヨークのような風景ではないでしょうか?抑圧から解放された人々が街中に湧いて出る。解放された喜びはあっても生産設備はあるが商品もお金もないというのがポストコロナの1日目の風景ではないでしょうか?