前回の記事からの続き


仁木宏理(にき・ひろみち) 中学1年生はかくして私のクラブの合宿


に参加してきた。


合宿は島根県邑智郡羽須美村・村営プール(長水路)で行われた。


1990年から毎年8月にこのプールで実施していたが、その年は各


地で水不足が相次ぎ、練習場所を求めて交流のある四つのクラブが


合宿に合流していたため小学生もたくさん参加していた。


パシオスポーツクラブからは仁木宏理だけの参加であった。


メンバーには早稲田大学から、それまでの不振から脱出できず、最


後のインカレ優勝に賭けるため、4年ぶりに参加した山本雅志、中央


大学をこの年卒業し、全国社会人優勝を目指す入沢剛、立命館大学


の大本正彰、大田SCからは田北誠のライバル、石田雅史、そして、


私のクラブからもインターハイ、全国中学で優勝を目指す田北弘二、


田北誠ら、かなりレベルの高い合宿が行われようとしていた。


彼は緊張していた。練習ではコースのトップを泳ぐ山本雅志が後ろを


泳ぐ田北誠に激怒して手につけていたパドルを壁にぶつけるなど、


真剣さが講じて緊迫した空気になる場面も何回もあった。


少し年下で、レベル的にも他のメンバーより劣ってはいたが、無理やり


そのコースに入れられた仁木宏理は、腰を抜かさんばかりにうろたえ


ていた。経験合宿でもあったので、彼には特に檄を飛ばすことは無かっ


たが、食事はなかなか喉を通らず、原因不明の腹痛のため、山を越え


て病院へ車で体調不良の小学生と共に連れて行ったこともあった。


それでも何とか合宿を終えた彼は、自分のクラブにもどり真面目に練習


に取り組んでいた。


しかし、9月になっても10月になっても彼は大会に出てこないのである。


気になった私は、電話で大黒コーチに問い合わせた。


チームのほとんどがまだレベルの高い試合に出られないため、彼だけを


大会に出せないということであった。


何とかしてやりたいと思った私は、練習、および試合の引率は私のクラブ


で行い、所属はパシオで出場することを勧めた。


その件は、本人も了解したが、合宿のイメージが残っているのか、実行


するのに時間がかかり、合流したのは12月であった。


まず、彼に 1500mのトライアルを行わせた。記録は19分50秒だった。


私は、彼に3月の全国ジュニアオリンピックでの優勝を約束させた。優勝


タイムを16分20秒と見た。しかし、最終予選は2月の最後の日曜日であ


る。それまでに標準記録の17分00秒を突破しなければならない。


90日で3分30秒の短縮は簡単なはずは無かった。1週間で15秒づつの


短縮を義務付けた。毎回の練習で1500mのトライアルを行った。


1月いっぱいまでは週2回の合流をさせていたが間に合わない。


2月からは毎回の練習に合流させた。それはさぞつらく、苦しかったであろ


う。ええかっこしいのこいつをなんとしても全国ジュニアオリンピックに連れ


て行かなければならない。チームのメンバーは我がことのように励まし、


時には叱った。


2月最終日曜日の予選会、彼はありったけのスピードとスタミナ、そして


執念で泳いだ。結果は16分57秒、標準記録を突破したのだ。


彼は雄叫びを上げ、チームメイトは歓喜した。女子選手の中には感動して


涙するものもいた。


なんとか全国ジュニアオリンピックの出場権を得た彼は、さらなる努力を


繰り返し、大会当日、レースを向かえた。


初めてのジュニアオリンピックに表情はこわばっていた。


13・14才男子1500m自由形決勝がスタートした。7コースを泳ぐ仁木宏


理は自分の力がわからないのであろう。時にはスピードを上げたり、また


落としたりしながらもセンターコースをマークしていた。


私もチームメイトも息を飲みながら眼をこらして観戦していた。


1000mを過ぎ、作戦はスパート開始であった。彼は満を持して飛び出し


た。


そして1100m、遂にトップに立ち、ラップを奪った。


「1100mにおける途中時間、7コース仁木君 パシオスポーツクラブ」


場内アナウンスが初めて辰巳国際プールに彼の名前をコールした。


チームメイトは、声を張り上げ応援した。「行けー 行けー」


しかし、経験不足は明らかであった。迫ってくる強豪に次々とかわされ、


残った力を振り絞り、やっとゴールした。結果は7位であった。


レースが終わり、彼は落胆した表情を見せていたが、私には十分であった。


記録は16分31秒、優勝タイム 16分23秒に8秒劣るタイムだったが、


この短期間にここまで来たのはまぎれも無く奇跡に違いない。


表彰台には登れなかったが、表彰式で賞状を手にした彼は呪縛から解放


されたのか、すがすがしい表情で胸を張った。


おりしも今、彼が全国に向けてスタートを切った時と同じ12月です。


強化練習、合宿などがあちこちで行われている時期だと思います。


今からでも遅くありません。魅力ある素材を見落としてはいないでしょうか?