1994年7月のある土曜日、


「たまには自分の子供のプールも見てやったら?」という家内の言葉に


促され、私は下の娘(9才)のプールレッスンを見に、私の住むマンショ


ンの敷地内にあるスイミングクラブ・パシオスポーツクラブへ行って見た。


ギャラリーにいる私を見つけた娘はこちらに手を振りながら、友達と楽し


そうにレッスンに興じていた。レッスンが終わり、そのままギャラリーで娘


がロッカーから出てくるのを待っていると選手コースの子供たちがプール


に入ってきた。


なにげなく見ていると、ある いやな光景を目にしてしまった。


それは体格の大きな中学生くらいの男の子のふてぶてしい態度であっ


た。彼はチームの中ではひときわ速く、1番手でスタートする50mも泳が


ない間に3番手でスタートした女の子に追いつくのである。彼はそのとき、


泳ぐのをやめ、女の子に怖い顔をした。女の子は蛇ににらまれた蛙のよう


に小さくなっていた。娘が着替えてきたのでその場を後にしたが、私は


その光景が妙に気になっていた。後日、マンションの近所をあるいている


とパシオスポーツクラブの選手を指導する大黒隆晴コーチにばったり会っ


た。私は、気になっていた男の子の話をすると、こういうのである。


「まだ、スタートして間もないクラブなので、レベルの低い選手が多く、なか


なかその子のための練習がしてやれないので困っている」というのである。


そこで私はある提案をした。


「できれば私のクラブの合宿に参加させて見ないか。彼より速い選手が


多く、彼にあった練習もしてやれるし、刺激にもなるだろう」


大黒コーチは、「できれば彼のためにそうしてやりたい。」


仁木宏理 中学1年生はかくして私のクラブの合宿に参加してきた。


この選手の運命や、いかに・・・・・・・・。乞うご期待


                                   つづく